令和4年2月20日① 青春とびしびしばしばしらんらんラジオ③
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ②のつづき
びしびしばしばしらんらんラジオ(びしばし)は、プロ野球の中継のあとに始まるので、試合が長引くと、その分放送時間が短くなります。。。
テレビと違い、ラジオは試合終了まで中継するので、終盤に追いつかれて延長になった日には「おいおいカープ、なんしょんやぁ・・・」と(-_-;)
それならいっそのこと逆転された方が・・・とかは思ってないですよ!
野球がシーズンオフの間は、きっちり21時に始まるので、当時は完全にびしばし>カープでした^^;
また、普通は週末がくると嬉しいはずですが、土日は放送がないので早く来週になってくれ〜という感じで。
まさに頭の中の8割(もっと!?)が、びしばしでしたね。
懐かしくて、何十年ぶりかに想い出の品を探してみたところ、グッズ類は全部広島の実家にあると思いますが、イベントでらんらんスタッフ(らんスタ)にメッセージを書いてもらったノートや手紙などが出てきました!
封筒ののりの部分の色が30年の年月を感じさせます^^;
そして、私自身存在を忘れていたのが、採用されたハガキ等の記録(@@)
そういえば作ったなぁと。
コーナー名とネタの概要、もらったグッズが一覧になっていました。
こういうのを作るところって、良くも悪くも自分らしいです^^;
ネタの投稿は、はがき職人の遊び場と、しまうまコーナーというのがあり、それぞれ曜日によってテーマが違っていました。
はがき職人〜の方は、作詩やドラマの脚本みたいな感じの難易度が高めのテーマが多めで、私は短い一発ネタのしまうま〜の方が得意でした。
コーナーの時間になり、読まれるかどうかのあのドキドキ感は、今でも覚えています。
で、うけたらラジオの前で一人でにやけたりして^^;
逆にうけないと、恥ずかしくて、しばらく呆然みたいな。。。
あまりにすべると、自分のことは棚に上げて、あぁ・・・これなら読まれない方がよかったかも・・・などと身勝手なことを思うこともありました(-_-;)
せっかく選んでもらったのに本当にごめんなさいm(__)m
読まれた中で面白かった数人はグッズをもらえるのですが、一文字さんの独断と偏見?で決まることもあるので「え〜、一文字さん、そりゃないよ〜」なんてことも。
懐かしい我が青春ですね。
びしばしのリスナー(はがき職人)だったのは、1年と約10か月でしたが、あらためて記録を見てみると、はがき職人の遊び場で22回、しまうまコーナーで78回採用してもらっていました!
あわせてちょうど100回ですね。
もちろんその影には、何倍ものボツネタがあるわけですが。。。
同世代の強力なライバル(と勝手に思っていた)自転車に乗れない少年K君と杉本宇宙君には、若干(?)かなわない部分もあったかな〜と思いますが、こちらは新聞製作との二刀流(替え歌等も入れて三刀流!?)だったということで^^;
その他、ネタとは関係ない諸々の投稿で読んでもらったのが10数回。
新聞は、番外編の「といれ新聞」も含め22回発行していました。
新聞を作らずに、はがき職人に徹していたらもっともっと読んでもらえたかな?と思わなくもなかったですが、新聞製作において親友とともにした苦労や葛藤、喜びや達成感などは、また違った充実感がありましたからね。
この日記を書きながら、コピーって取ってたっけ?と思ったのですが、親友から1回分を除いて全部あるけえ、今度PDFを送っちゃるよとのメールが(@@)
1つ完成したら即次回号の企画・構想という感じで、振り返る余裕は全然なかったので、ある意味30年経って初めてじっくり見ることになる感じです。
ちょっと恥ずかしいですね〜。
恥ずかしいといえば、イベントで他のリスナーさんからサインください!と、言われたこととかもありましたが、そんなこと人生でもう二度とないでしょうね^^;
そんな、まさに生き甲斐だったともいえるリスナー(はがき職人)生活も受験生になる日が近づくにつれ、だんだん終わりが見えてきました。。。
また、〇〇さんは短大の2年生だったので卒業が近づいていました。
そんな中、卒業するらんスタが二人一組でリスナーの家を訪問して料理を作るという企画があり、応募しました!
誰に来てほしいかは選べないのですが、ある日突然、学校から帰った直後にディレクターさんから電話があり、行く予定だった家が急遽ダメになったらしく・・・。
〇〇を行かせるから、なんとか今日お願いできない!?と(@@)
痛いとこを突かれましたが、もちろん〇〇さんが来てくれるなら希望どおりなので、母に事情を話し、親友と中学校時代の陸上部の友達でリスナー仲間でもあった2人にも今夜うちに来るように打診しました。
RCCに電話して了承すると、〇〇に替わるから材料の打合せとかしてということで「ハンバーグ作るけえ、あれとあれとあれを準備しといてね」と。
電話のあとは、いろいろバッタバタでしたね。
ハート型のハンバーグという想定でしたが、かたちはまあ^^;
今回、親友とのメールのやり取りで「あったよのぉ、諏訪家からの生中継!今考えると凄いことじゃわ!!」と、懐かしい想い出が蘇りました。
録音したので、探せばあのときのカセットテープがあるはずですが、親友もそれは是非聴きたいよの〜と。
中継の中で、もちろん私は一文字さんと話しましたが、父や母、弟も出演して話してるんですよね〜。
当時はまだ携帯電話もない時代なので、父は会社から帰宅したらいきなり中継されていたという状況でした(@@)
その割には、普通に話してましたけどね^^;
ご飯の早食い競争にもいっしょに参加していました!
母に一文字さんの訃報を伝えると、あのラジオの?と返事がありました。。。
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ④へつづく