〒160-0008 東京都新宿区四谷三栄町15番38号 ロイヤル四谷202号
営業時間 | 午前9時~午後6時 |
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定休日 | 土日祝祭日 |
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青春とびしびしばしばしらんらんラジオ④のつづき
関学に入学した私は兵庫県(宝塚市)に住むことになり、ある日、ラジオをAMの1350kHzにあわせてみましたが、びしばしは、ノイズ混じりにかすかに聴こえる程度で・・・。
聴くのは無理でしたが、ダメもとで挑戦してみたのは、、、
当時、じゅんこさんという音大生のらんスタがいたのですが、初見の楽譜をいきなり歌えると(@@)
「じゅんこの校歌を歌おう♪」というコーナーがあり、リスナーが通う高校の校歌を歌っていました。
そこで、ダメもとで関学の校歌の楽譜を送ってみたところ、、、
採用されて出演することに!
大学は初めてだったんじゃないですかね^^;
休聴から1年以上が経っていましたが「かっとび、久しぶりだなぁ〜元気〜?」と、一文字さんが覚えてくれていて、すごく嬉しかったですね〜。
あれが正真正銘の一文字さんとの最後の会話です。
一文字さん、お久しぶりです。
「一文字さん、らんスタの皆さん、こんにちは。」で始まるハガキをどれだけ書いたことでしょうか。
30年以上経った今でもRCCラジオの郵便番号と住所が出てきますよ!
一文字さんの作詞で、CHOKKAKUさん作曲の「ラジオから流れる〜素敵〜なトークショ〜♪」で始まる、らんスタのテーマもサビの部分がちょっと怪しいですが、1番なら今でも歌えそうです^^;
びしばしのいろいろな想い出が今でも心に刻まれています。
時には悔しい思いをすることもありましたが、一文字さんにハガキを読んでもらったときのラジオの前での、あのなんとも言えない嬉しい気持ちや恥ずかしい気持ちが本当に懐かしいです。
ネットもない時代でしたが、一文字さんとも、らんスタの皆さんともどこかつながってる感じがありました。
本当は広大に入って「一文字さん、俺をらんスタにしてください!」とお願いしたいと思っていましたが、その夢は叶わずで。。。
一文字さんに憧れて、一文字さんを慕って、ラジオやテレビの業界に進んだリスナーが何人もいると聞いているので凄い影響力ですよね!
父が生きていた頃は、広島空港の送り迎えの車中でラジオをつけてくれて、あっ!一文字さんじゃ、懐かしいのぉと思うことがありました。
ここ数年は、声を聴くことはありませんでしたが「びーしびし、ばーしばし、らんらんラジオ〜」の一文字さんの掛け声で始まるチャラララ〜ラッ♪のオープニングテーマが今でも鮮明に蘇ってきます。
一文字さん、、、
突然の訃報、ただただ悲しいです・・・。
びしばしは私の青春の1ページです。
いや、100ページくらいありますかね。
一文字さんがいなかったら、びしばしも誕生していないわけで、びしばしと出会ってなかったら今の自分はありません。
人生が変わっていると思います。
それは間違いないです。
高校時代のあの青春の2年間を忘れられない充実したものにしていただき本当に本当にありがとうございました。
びしばしは約10年間続いたので、私が知らないこと、知らない一文字さんの方が圧倒的に多いわけですが、広島の中高生リスナーが、それぞれ生きた時代にそれぞれの青春となって、今も皆の心の中で生き続けていると思います。
これからもずっと。
びしびしばしばしらんらんラジオと一文字弥太郎。
私は一生忘れることはないでしょう。
いつか私がそっちに行ったときには、お顔は見せてくれなくてもいいのでびしばしの想い出話をさせてください。
そして、またあの頃のように、私が書いたはがき職人の遊び場と、しまうまコーナーのネタを読んでくださいね。
一文字さん、また会う日までさようなら。。。
R.N かっとびマークⅡ
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ③のつづき
〇〇さんはその後、らんスタを卒業しました。
めちゃくちゃ悲しかったですね・・・。
1年前もそうでしたが、比べものにならないくらい。。。
ただ、、、
もう時効?だからいいですかね??
らんスタとリスナーがイベント以外で会うのは、ご法度だったこともあり「今はダメじゃけど、らんスタ卒業したら遊びに行こっか」と言ってくれて3月に私と親友と出かけてくれました!
といってもまだお酒も飲めないし、映画(ゴッドファーザーPARTⅢ)を観たあと、ケーキ屋さんで話をしてという感じでしたけどね。
映画は隣に〇〇さんがいると思うと、ところどころ内容が入ってこなかったような^^;
楽しかったですが、その時間が楽しい分だけ・・・。
お別れの時がきて、会うのはこれで最後かなと思うと、胸がキュッとなる感じでした。。。
今でも広島市内にある某デパートの入口のところを通ると想い出しますね。
いやぁ〜、まさに青春ですね〜。
実際、それ以降は会ってないので、あのとき(1991年の春)が最後です。
アイドルとかではないけど、身近にいる人でもない〇〇さん。
恋愛感情は・・・!?
年月が経っているとはいえ、書くのはちょっと恥ずかしいですが、、、
好きだったかな。
いや、大好きでしたね。
ただ、自分の中でもわきまえてはいました。
春には大学を卒業して社会人になろうかという〇〇さんは、完全に大人の女性であり、片やこっちは、まだ大学生ですらなく、これからやっと受験生になるという高校生(のガキ)ですからね。。。
憧れのお姉さん的存在ですかね。
〇〇さんも、私や親友のことは、かわいい弟みたいに思ってくれていたと思います(そうだよね?)
年上の人を好きになったことなど一度もなく、なるわけがないというか対象と思ったこともなかったので、自分でも意外すぎましたが、私の中での理想の女性像になり、逆に今後は同い年や年下の子は好きになれないかも!?なんていう懸念がありました。。。
杞憂でしたが^^;
さて、現実に目を向けると、、、
楽しくてキラキラしていたリスナー人生とは裏腹に、成績の方は救いようがないくらいズタボロになっていて、高二の三学期にはクラスでもドベから3番目に・・・。
留年生の先輩がいたし、もう一人は半端ないアホだったので(お前が言うなですね・・・)実質はドベでしょうか(-_-;)
特に数学と理科が絶望的で、文系に変更することにしたのですが、かといって英・国・社ができるわけでもなく・・・。
しかし、まだマシというか、そうするしかないという状況でした・・・。
二年生の最後の三者面談で担任からは「文転したけえゆうてお前が行ける大学なんかないわ・・・、家から遠いのにわざわざうちに入学した意味がない・・・、地元の公立に行けばよかったのになんのためにうちに来たんか・・・」などと散々に言われ、帰りの車の中で母は情けなくて泣いていました。。。
私は、、、
母に申し訳ないと思ったのもあるし、〇〇さんにいい報告をするためにも広大(広島大学)に入るしかない!と決意しました。
あとは、自分自身がどうしてもらんスタになりたい!と思っていたので、そのためには広島に残る必要があり、広大合格が必須でした。
とはいえ、この時点では相当無謀でしたが(><)
まんねん1回戦負け(しかもコールド?)のチームが、来年甲子園行くぞ〜!と言っているようなものですかね。。。
〇〇さんたちがらんスタを卒業したあと、しばらくすると私も休聴宣言をして事実上のはがき職人引退となりました。
そして、4月1日からは別人のように猛勉強しました。
残された時間は、たったの9か月でしたが、びしばしのこと以外は、ほぼ空っぽになっていた頭の中に知識がどんどん入ってくるのはありましたね^^;
そして新年を迎え、、、
数学と理科は微妙な克服状況のまま迎えたセンター試験で、数学を大失敗してしまい、広大合格の望みは、ほぼ断たれました・・・。
らんスタの途も・・・。
悔しくて悲しくて、こたつの中で泣きましたね。。。
センター試験のあとは1月末まで廃人のようになっていました・・・。
普段は怒らない父の喝で目を覚まして私立の受験を迎えましたが、父の話はまた別の機会にでも。
受験が終わり、最終的には、、、
予定どおり二次で広大にチャレンジしたものの、落ちてしまいました・・・。
しかし、どこにも行けないと言われるほどのひどい状況から起死回生をはかり、関西学院(かんせいがくいん)大学に合格することができました!
しかも2学部のオマケつきで。
これは紛れもなく、びしばしの存在と〇〇さんのおかげです。
また、この経験があったからこそ、司法書士試験の勉強を始めるときも頑張ればなんとかなるだろ!と思えたというのはありますね。
心配してくれていたみたいで、〇〇さんが3月に電話をかけてくれたのはちょっと驚きましたが、嬉しかったですね〜。
広大はダメだったけど、関学に行くことにしたよと報告しました。
頑張れたんは〇〇さんのおかげよ!とは言えなかったですけどね^^;
大学に入ったあと、何回か手紙のやり取りがありましたが、結婚することになったよ〜と報告を受け、確か、思いきって祝福の電話をしてみたときに話したのが最後ですかね。
このときもまだ携帯電話なんかない時代です。
一時期、年賀状が届かなくなりましたが、数年後に奇跡的に復活したので司法書士になったことや私の方の結婚、子供が生まれたことの報告ができたのはよかったです!
ただ、残念ながらその後また途切れてしまい・・・。
「〇〇さん、元気にしてますか?」
純粋にあの頃のびしばしの想い出話がしてみたいですね。
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ⑤へつづく
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ②のつづき
びしびしばしばしらんらんラジオ(びしばし)は、プロ野球の中継のあとに始まるので、試合が長引くと、その分放送時間が短くなります。。。
テレビと違い、ラジオは試合終了まで中継するので、終盤に追いつかれて延長になった日には「おいおいカープ、なんしょんやぁ・・・」と(-_-;)
それならいっそのこと逆転された方が・・・とかは思ってないですよ!
野球がシーズンオフの間は、きっちり21時に始まるので、当時は完全にびしばし>カープでした^^;
また、普通は週末がくると嬉しいはずですが、土日は放送がないので早く来週になってくれ〜という感じで。
まさに頭の中の8割(もっと!?)が、びしばしでしたね。
懐かしくて、何十年ぶりかに想い出の品を探してみたところ、グッズ類は全部広島の実家にあると思いますが、イベントでらんらんスタッフ(らんスタ)にメッセージを書いてもらったノートや手紙などが出てきました!
封筒ののりの部分の色が30年の年月を感じさせます^^;
そして、私自身存在を忘れていたのが、採用されたハガキ等の記録(@@)
そういえば作ったなぁと。
コーナー名とネタの概要、もらったグッズが一覧になっていました。
こういうのを作るところって、良くも悪くも自分らしいです^^;
ネタの投稿は、はがき職人の遊び場と、しまうまコーナーというのがあり、それぞれ曜日によってテーマが違っていました。
はがき職人〜の方は、作詩やドラマの脚本みたいな感じの難易度が高めのテーマが多めで、私は短い一発ネタのしまうま〜の方が得意でした。
コーナーの時間になり、読まれるかどうかのあのドキドキ感は、今でも覚えています。
で、うけたらラジオの前で一人でにやけたりして^^;
逆にうけないと、恥ずかしくて、しばらく呆然みたいな。。。
あまりにすべると、自分のことは棚に上げて、あぁ・・・これなら読まれない方がよかったかも・・・などと身勝手なことを思うこともありました(-_-;)
せっかく選んでもらったのに本当にごめんなさいm(__)m
読まれた中で面白かった数人はグッズをもらえるのですが、一文字さんの独断と偏見?で決まることもあるので「え〜、一文字さん、そりゃないよ〜」なんてことも。
懐かしい我が青春ですね。
びしばしのリスナー(はがき職人)だったのは、1年と約10か月でしたが、あらためて記録を見てみると、はがき職人の遊び場で22回、しまうまコーナーで78回採用してもらっていました!
あわせてちょうど100回ですね。
もちろんその影には、何倍ものボツネタがあるわけですが。。。
同世代の強力なライバル(と勝手に思っていた)自転車に乗れない少年K君と杉本宇宙君には、若干(?)かなわない部分もあったかな〜と思いますが、こちらは新聞製作との二刀流(替え歌等も入れて三刀流!?)だったということで^^;
その他、ネタとは関係ない諸々の投稿で読んでもらったのが10数回。
新聞は、番外編の「といれ新聞」も含め22回発行していました。
新聞を作らずに、はがき職人に徹していたらもっともっと読んでもらえたかな?と思わなくもなかったですが、新聞製作において親友とともにした苦労や葛藤、喜びや達成感などは、また違った充実感がありましたからね。
この日記を書きながら、コピーって取ってたっけ?と思ったのですが、親友から1回分を除いて全部あるけえ、今度PDFを送っちゃるよとのメールが(@@)
1つ完成したら即次回号の企画・構想という感じで、振り返る余裕は全然なかったので、ある意味30年経って初めてじっくり見ることになる感じです。
ちょっと恥ずかしいですね〜。
恥ずかしいといえば、イベントで他のリスナーさんからサインください!と、言われたこととかもありましたが、そんなこと人生でもう二度とないでしょうね^^;
そんな、まさに生き甲斐だったともいえるリスナー(はがき職人)生活も受験生になる日が近づくにつれ、だんだん終わりが見えてきました。。。
また、〇〇さんは短大の2年生だったので卒業が近づいていました。
そんな中、卒業するらんスタが二人一組でリスナーの家を訪問して料理を作るという企画があり、応募しました!
誰に来てほしいかは選べないのですが、ある日突然、学校から帰った直後にディレクターさんから電話があり、行く予定だった家が急遽ダメになったらしく・・・。
〇〇を行かせるから、なんとか今日お願いできない!?と(@@)
痛いとこを突かれましたが、もちろん〇〇さんが来てくれるなら希望どおりなので、母に事情を話し、親友と中学校時代の陸上部の友達でリスナー仲間でもあった2人にも今夜うちに来るように打診しました。
RCCに電話して了承すると、〇〇に替わるから材料の打合せとかしてということで「ハンバーグ作るけえ、あれとあれとあれを準備しといてね」と。
電話のあとは、いろいろバッタバタでしたね。
ハート型のハンバーグという想定でしたが、かたちはまあ^^;
今回、親友とのメールのやり取りで「あったよのぉ、諏訪家からの生中継!今考えると凄いことじゃわ!!」と、懐かしい想い出が蘇りました。
録音したので、探せばあのときのカセットテープがあるはずですが、親友もそれは是非聴きたいよの〜と。
中継の中で、もちろん私は一文字さんと話しましたが、父や母、弟も出演して話してるんですよね〜。
当時はまだ携帯電話もない時代なので、父は会社から帰宅したらいきなり中継されていたという状況でした(@@)
その割には、普通に話してましたけどね^^;
ご飯の早食い競争にもいっしょに参加していました!
母に一文字さんの訃報を伝えると、あのラジオの?と返事がありました。。。
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ④へつづく
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ①のつづき
びしびしばしばしらんらんラジオ(びしばし)の出演者は、一文字さんと日替わりのらんらんスタッフ(通称らんスタ)が2〜3人です。
らんスタは、全員現役の大学生で、いかにも女性っぽいネーミングですが男性もいます^^;
女子大生の方が多かったですけどね。
投稿されたネタが読まれるコーナーは、番組全体からするとわずかな時間で、メインは様々なテーマ(リスナーの悩みごとや社会問題なども)についてのトークや企画ものです。
一応全部聴くけど、当初、私にとってはネタのコーナーだけが楽しみでした。
あとは、年に数回集合形式のイベントがあり、親友から夏に誘われましたが、そういうのはあまり興味がなかったのと、その時点では知名度にまだまだ差があったので不参加。
今考えれば、自意識過剰ですね。。。
その後、親友に「かっとびマークⅡって知っとる?」と聞くと「知っとるよ!よう読まれよるじゃない、それがどしたん?」と。
「あれのぉ、、、実は、わしなんよ」と打ち明けると、めちゃくちゃ驚いていました(@@)
そんなわけで12月のイベントは満を持して?参加することにしましたが、何をしに行くのか?何があるのか?いまいちピンときませんでした。。。
親友が「わしは、らんスタの中じゃと○○がええの〜」みたいなことを言っていたのもピンとこずで。。。
そんな感じで、さほど関心がなかったらんスタの姿をこのイベントで初めて見たわけですが、その感想は、、、
ちょっとうまく説明できないのですが、今まで声だけだった人がそこにいる(本当に存在している?)という、なんとも不思議な感じで、自分の中にはなかったものが生まれたような感覚でした!
そして、夏も行っておけばよかったなぁと。。。
ちなみに一文字さんはイベントでも声だけの出演でしたね。
番組に出ているらんスタとイベントで見たらんスタがリンクしたことで、それまではハガキが読まれるかどうか、読まれた日にたまたま来ていたらんスタにうけるかどうかしか興味がなかったのが、トークのコーナーやそれぞれのらんスタの個性にも関心をもつようになりました。
そして、次第に誰さんが出ている日に読まれたいとか、誰さんにうけると嬉しいと思うようになり。
ただ、、、
せっかくいいな〜と思うらんスタができたのに、大学生なので卒業してしまうんですよね・・・。
切なかったですね。。。
大袈裟かもしれませんが、ポッカリと穴があいたような感じで、一時期ハガキを出す回数も減りました・・・。
卒業するスタッフがいれば、新しく入ってくるスタッフがいるわけですが、それまで関心がなかったくせに勝手だなと思いながらも、自分がハガキを出し始めた頃から見てくれていた、そして聞いてくれていたスタッフへの愛着や敬意と感謝から、どうにも新人スタッフを受け入れる気になれなくて(-_-;)
当時は、押し退けて入ってきた「敵」みたいな印象でした。。。
あとから思うと、とんでもなく失礼な話で、ほんとごめんなさい・・・ですが、そんな感じだったのであまり気乗りしない中、親友といっしょに2回目となる春のイベントに行きました。
終了後には交流のためのフリーの時間があり、みんな、すかさずらんスタのところに駆け寄ったり、リスナー同士で談笑したりしていましたが、私はそういうのは苦手で・・・。
親友と2人でポツンとなっていたところに話しかけてくれたのが、新しく入ってきていた〇〇さんでした。
すごく気さくで、親友と2人で作って投稿していた新聞の感想とかも話してもらって、へぇ〜、よう見てくれとるんじゃのうと。
帰り途に「〇〇さん、思っとったよりも全然ええ人じゃね」と話しました。
今までどう思っていたの!?という感じですが、先ほど書いたような私の完全な偏見です。。。
そのときはそのくらいでしたが、次のイベントでも話をして仲良くなり、手紙を返してくれたりもして、一気に〇〇さんの大ファンになりました!
明るい性格で、話しやすいのが一番の魅力でしたが、べっぴんさんでもありましたね^^;
ところで私と親友は、竹林組(ちくりんず)というコンビも組んでいて、びしばし仲間の伝言板(伝言ダイヤル(留守電)に替え歌などを吹き込むコーナー)に応募したりもしていましたが、最も力を注いでいたのが新聞の発行でした。
高一、高二のときの土日の大半をこの製作に費やしていましたからね!
初代の新聞が盗作通信で、二代目がサクサク通信です。
盗作〜の方は、その名の通り投稿の盗作を発見して指摘するコーナーがあったのですが、批判も多かったです。。。
イメチェンをはかったサクサク〜の方は評判もそこそこ良くて、一時期は局から希望するリスナーにコピーを郵送していただいていました!
月1回以上の発行を目指していて、完成した新聞は郵送していましたが、早く見てもらいたいのと、一文字さんやらんスタに差し入れがしたくて途中からは親友と片道1時間以上かけてRCCに直接持って行くこともありました(@@)
(このことは、のちに他のリスナーから若干問題視されましたが・・・)その際は、毎回木曜日に行っていました。
というのも、社員通用口まで〇〇さんが受け取りにきてくれることもあったので♪
「〇〇は今日は忙しいから・・・」と、ディレクターさんが出てきてがっかり(すみません)なんてこともありましたが、短時間ながらイベントについて話ができたりして、新聞製作の参考にもなり、それはそれでとても貴重でした。
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ③へつづく
超長文です。
凝縮してもかなりの量なので、4〜5回に分けて書きたいと思いますが、30年の時を経て、こんなカタチで書く日がくるとは。
とても狭い世界ですが、私には一時代を築いたかなぁと思える時期がありました。
人生であんなことは二度とないでしょうね。
ある部分ではくすぶっていましたが、同時にめちゃくちゃ輝いていたなぁと。
昨日は妻の甥っ子の大学合格の吉報が届きましたが、今日は凶報が・・・。
地元の親友から一文字弥太郎(いちもんじやたろう)さんが亡くなったと・・・。
一文字さんは、広島で活躍しているラジオパーソナリティーで、私にとっては、びしびしばしばしらんらんラジオ(通称びしばし)の司会者です。
ラジオなので、そもそも声だけなわけですが、本名や年齢など非公開で顔も晒していない覆面パーソナリティーでした。
びしばしは、RCC(中国放送)の中高生向けバラエティーラジオ番組で、火曜日から金曜日の21時から22時54分まで放送していましたが、私の人生においては切っても切っても切り離せない存在です。
その出会いのきっかけは、、、
小学生の頃、ファミコン通信という雑誌のガバスという通貨を貯めるためにいろいろ応募していましたが、ファミマガやマル勝ファミコンにも投稿するようになり、はがき職人の道に目覚めました^^;
ほとんど採用されませんでしたけどね。。。
友達と競っていて、その後、主戦場をジャンプ放送局(週刊少年ジャンプの投稿コーナー)に移しましたが、これもなっかなか採用されなくて(><)
私は諦めが悪いので出し続けて3回くらい採用されましたが、他の友人たちは脱落していきました・・・。
高校一年生になっていたある日、友達(中学の陸上部の親友で高校は別)からラジオ番組の新入生対抗クイズ大会に出るので応援に来てくれと頼まれました。
ラジオとはいえ、しゃべらされたら恥ずかしいので、行かなかったのですが、その日初めて聴いてみたのが、びしばしとの出会いです。
クイズ大会だけのつもりが、翌日からも何気なく聴くようになったのですが、ネタを投稿するコーナーがあり、親友のハガキ(ネタ)が読まれました!
「実はわしも聴くようになったんよ。ハガキ読まれたん聴いたで!」と話すと、親友(ラジオの中では、綾小路(あやのこうじ)ダビンチ)はリスナーの中では、なかなかの有名人らしいことが判明(@@)
それなら自分もいけるのでは!?と思い、内緒で1枚出してみたところ、、、
いきなり読まれました!
ジャンプはやめて、びしばしに鞍替えしました^^;
一文字さんがプロレスの大ファンということで、ペンネームやラジオネームではなくR.N(リングネーム)でしたが、私は、かっとびマークⅡという名前で投稿していました。
車のマークⅡだと思われていたようですが、全然関係なくて、それまでジャンプなどに投稿していたペンネームが、かっとびだったので、その二代目という意味です。
ところで私は、高校はそこそこの進学校(私立の男子校)に入りましたが、中学校が公立とは思えないほどのスパルタで、先生の言うことさえちゃんとやっていればいい成績を保てたこともあり、自分で考えて勉強する習慣がなかったため、早くも一年生の二学期には成績がやばいことになっていました(-_-;)
そんな状況で、びしばしにハマったものだから成績はさらに・・・。
授業中にネタを考えることもあり、たまにハガキを書いたりもしていました。
朝、広島駅で芸備線に乗り換える間のわずかな時間を使って、ダッシュで駅前のポストに出しに行くことも。
そうすればその日の夜のコーナーで読まれることもありましたからね!
成績と反比例するようにハガキの方は順調に読まれ続けて、4か月くらい経った頃には、そこそこ有名になっていました!
自分で言うのもアレですが、、、
大物新人の登場です^^;
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ②へつづく
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