平成28年1月17日③ 1月17日
阪神淡路大震災から今日で21年。
当時は大学三年生で宝塚市に住んでいたのですが、震度6で
アパートが被害を受けました。
壁が一部崩れ落ち、水道管が破裂しましたが、ほんの数キロ
離れただけで、同じようなアパートが多数全壊している光景を
見ると、命を拾ったという思いでした。
電気はほどなく復旧したものの、ガス(風呂)と水道(トイレ)が
使えなかったため、1週間ほど頑張った後、諦めて1ヶ月半
実家に避難しました。
被災者ということで義援金を確か3万円くらいもらいましたが
賃貸アパートだったため、実害はなく、また、幸い知人の中に
負傷者はいたものの、亡くなった方はいませんでした。
何年経っても1月17日という日を特別な思いで迎えることに
変わりはありませんが、どうしても薄れていく部分があるのは
否めません・・・。
関西(兵庫県)を離れて20年近く経つのも1つの要因でしょうし
当時はそれなりに大変な思いをしたとはいえ、亡くなった方や
その遺族、家や仕事等を失った方などとは比べるべくもなく
やはり自身の被害が最小限で済んだことが要因でしょう。
ただ、尊い命が多数失われたことは絶対に忘れてはいけないし
息子が理解できるようになったら伝えたいと思います。