平成28年3月2日② 旅立ち
先週、昨日今日と父を見ていて、私の中でもわからなくなって
いました。
もちろん1日でも1時間でも長く生きていてほしいのですが
よくなる見込みがない状況で、辛そうにしている姿を見ると
まして話もできなくなってしまった今となっては、どうなのかと・・・。
そういう葛藤の中、状態がさらに悪化している様子で
看護婦さんが心拍数と血圧が画面で見える機械を病室に
持ち込みました。
まさにドラマ等で見るやつです。
弟と息子がまだ帰ってきていなかったので「父さん、辛いじゃろうが
もう少し頑張って」と声をかけました。
そこに弟と息子が帰ってきました。
間に合ってよかった。
「帰ってきたよ!」と、耳元で話すと、その10分後に父は天国に
旅立ちました。
母も私も泣きました。
息子もさすがに察したみたいで号泣しました。
皆で「よう頑張ったね。ゆっくり休んで。今までありがとう」と
顔を撫でました。
先生が来て、心拍の停止と瞳孔を調べて臨終を告げられました。
16時9分でした。
私も成年後見の仕事で少なからず、人の死に携わっているので
このあとの流れはわかっていましたが、葬儀業者さんが遺体を
引き取りに来れる時間を教えてほしいと言われました。
田舎では、通夜や葬式を家族だけでというわけにはいかないので
母がまずは講中頭(こうじゅうがしら)というとりまとめ役の人に
連絡を入れました。
弟は父が着替える浴衣を売店に買いに行きました。
家での色々な準備のために母、弟と息子は一足先に帰り
私が病院に残りました。
そして、看護婦さんたちといっしょに父の体を綺麗に拭いて
浴衣に着替えさせました。
髭も剃ってもらってさっぱりした父を見ると、穏やかな顔で
まるで寝ているようでした。
冷暗室から見送り、私も車で家に帰ると、既に近所の人たちが
たくさん集まっていました。
お寺の住職も来ていて、仮通夜がおこなわれました。
夜、ロウソクと線香が消えないように注意しながら、私と母と
息子は父の横に布団を敷いて寝ました。
母はこの何日かはあまり寝れていなかったと思うので、今日は
逆に解放されたのか割とすぐに寝ました。
私もしばらく考え事をしていましたが、そのうち寝てしまいました。
1か月前には、開幕三連戦のどこかでマツダスタジアムに
家族で行こう!と話していたのに、父がこの世にもういない
なんて信じられないです・・・。