平成28年3月2日②  旅立ち

先週、昨日今日と父を見ていて、私の中でもわからなくなって

いました。

もちろん1日でも1時間でも長く生きていてほしいのですが

よくなる見込みがない状況で、辛そうにしている姿を見ると

まして話もできなくなってしまった今となっては、どうなのかと・・・。

そういう葛藤の中、状態がさらに悪化している様子で

看護婦さんが心拍数と血圧が画面で見える機械を病室に

持ち込みました。

まさにドラマ等で見るやつです。

弟と息子がまだ帰ってきていなかったので「父さん、辛いじゃろうが

もう少し頑張って」と声をかけました。

そこに弟と息子が帰ってきました。

間に合ってよかった。

「帰ってきたよ!」と、耳元で話すと、その10分後に父は天国に

旅立ちました。

母も私も泣きました。

息子もさすがに察したみたいで号泣しました。

皆で「よう頑張ったね。ゆっくり休んで。今までありがとう」と

顔を撫でました。

先生が来て、心拍の停止と瞳孔を調べて臨終を告げられました。

16時9分でした。

私も成年後見の仕事で少なからず、人の死に携わっているので

このあとの流れはわかっていましたが、葬儀業者さんが遺体を

引き取りに来れる時間を教えてほしいと言われました。

田舎では、通夜や葬式を家族だけでというわけにはいかないので

母がまずは講中頭(こうじゅうがしら)というとりまとめ役の人に

連絡を入れました。

弟は父が着替える浴衣を売店に買いに行きました。

家での色々な準備のために母、弟と息子は一足先に帰り

私が病院に残りました。

そして、看護婦さんたちといっしょに父の体を綺麗に拭いて

浴衣に着替えさせました。

髭も剃ってもらってさっぱりした父を見ると、穏やかな顔で

まるで寝ているようでした。

冷暗室から見送り、私も車で家に帰ると、既に近所の人たちが

たくさん集まっていました。

お寺の住職も来ていて、仮通夜がおこなわれました。

夜、ロウソクと線香が消えないように注意しながら、私と母と

息子は父の横に布団を敷いて寝ました。

母はこの何日かはあまり寝れていなかったと思うので、今日は

逆に解放されたのか割とすぐに寝ました。

私もしばらく考え事をしていましたが、そのうち寝てしまいました。

1か月前には、開幕三連戦のどこかでマツダスタジアムに

家族で行こう!と話していたのに、父がこの世にもういない

なんて信じられないです・・・。

平成28年3月2日①  急変

夜中に電話がなかったのでホッとしていたら、朝、病院から

母の携帯に連絡がありました。

ドキッとしましたが、内容は代わりの部屋が用意できたとの

ことでした。

急遽入院したため、今の部屋は仮の部屋でしたからね。

そんなことでわざわざ電話してこなくてもいいのにと

若干、憤りを感じました。

じゃあ行こうと準備をしていると、10分後にまた電話があり

今度は母の顔が歪み、泣きそうになっていました。

最悪な内容を想像しましたが、話し終えて聞くと、朝見に行ったら

吐血をしていて、意識がなくなっていたと・・・。

今は脳のCTを撮りに行っているが、今すぐどうこうゆうわけでは

ないとのことでした。。。

すぐに出発して、既に出勤していた弟にも状況を知らせました。

息子も連れて行くしかないので、母は私の妻を昨日無理矢理

帰してしまったことを後悔していました。

それより何より、自分だけでも朝一番に行くんじゃった・・・

昨日、無理矢理にでもお願いして泊めさせてもらうんじゃった・・・

と、涙を流していました。

病院に着くと、父は病室に帰ってきていて、点滴をしながら

酸素マスクをつけていました。

目をつむり辛そうに荒い呼吸をしていましたが、意識はないので

痛みや苦しさはないはずとのこと。

ただ、耳は聞こえるはずだとのことなので「父さん、みんな来たよ」

と、話しかけましたが反応はありません。

母はすりよって父の顔を撫でていました。

 その後、別室で主治医の先生から癌の手術をした時から

今に至る経緯の説明を受けました。

PCの画面で記録を探しながらでしたが、むしろ私たちの方が

時系列を明確に把握しているので、ちょっとイラッとしました。

頭のCTの画像も見せてもらいましたが、内部で出血している

とのことでした。

一晩、孤独と苦しさと戦ったのでしょうね・・・。

再発したことは、父の兄弟には知らせていましたが、その後の

細かい状況は伏せていました。

父はもちろん、母も余裕がなかったというか、知らせる気力が

なかったという感じですが、さすがにこうなったら知らせない

わけにはいかないので、母がおじさん(父の兄)に知らせて

すぐに向かうということになりました。

といっても2時間弱はかかりそうです。

福岡のおじさん(父の弟)は遠いので連絡しませんでした。

看護婦さんが定期的に部屋に来て、喉と鼻に溜まった唾や血を

吸引してくれましたが、意識がないとはいえ、その時は父の顔が

歪んでいました・・・。

「スッキリするから我慢して頑張って」と声をかけました。

今日の担当の看護婦さんは、やたら明るくて笑顔が多く

この状況にはかなり場違いというか違和感がありましたが

元気を出させてくれようとしているのかなとも思いました。

仕事を抜け出して弟が到着しました。

また、おじさん夫婦も到着して、父に話しかけてくれました。

私と弟と息子はいったん席を外しました。

体に機器をつけているので、心拍数や血圧に変化があると

発報して看護婦さんが見に来ます。

その度にドキッとします・・・。

おじさん夫婦もこのままずっといるわけにもいかないということで

15時半に帰ることになり、弟が最寄り駅まで送って行きました。

息子も気分転換について行かせました。

平成28年3月1日  家族全員で

朝4時過ぎに起きて支度をして出発しました。

今回、いつまで滞在することになるかわかりませんが、私の中では

納得はしてなくても覚悟はしていたので喪服も用意しました・・・。

飛行機に乗ると「今飛行機に乗ったから待ってて。返信はいらんよ」と

メールしました。

広島空港に着くと雪が降っていました。

母の車は雪仕様になってないので、まずいなと思っていましたが

弟が何とか午前休をとって迎えに来てくれていて、いったん

家に帰り、荷物を置いて急いで病院に向かいました。

母は私たちの帰りが若干遅れたこともあり、焦っている様子で

息子はチャイルドシートがあるそっちの車に乗せてと言ったのに

気づいたら先に出発していました。

ここに来るのは平成25年6月の手術以来ですが、こんなに

早くは来たくなかったですね・・・。

病室に着くと、父は点滴をしていて、鼻には酸素の管をつけて

いました。

私たちを見ると、また「ごめんね、悪いね」と言いました。

息子には、じじは病気で入院してるとしか説明してないので

ベッドに駆け寄って「じじ、見て見て〜」と、いつものように

絵やブロックなど色々見せていました。

父に笑顔はありませんでしたが、息子の相手はしてくれました。

本来、重苦しい雰囲気になるところ、無邪気な息子の存在は

ありがたいです。

何気ない話をしながら淡々と時間が流れていきました。

弟は午後からは仕事に行くため帰り、夜また来ることになりました。

お昼になり、父は好きな赤飯のおにぎりを食べました。

食欲はないはずですが、全部食べました。

私たちも何も食べないわけにはいかないので、病室で食べるか

交代で食堂に行くかでしたが、父が執拗に「大丈夫だから

みんなで食べに行って」と言うので、心配ではありましたが

食堂に行きました。

父はしんどそうではありましたが、状態は一応安定していました。

そして夕方になり、妻はいったん東京に帰ることになりました。

本人は残ると言ってましたが、ずっといるのも微妙ですからね・・・。

息子もさすがにずっと病室にいるのは退屈なので、母が妻を

新幹線の駅まで送り、今日のところは帰ることになりました。

私がひとりで残りましたが、父は目をつむっていて、呼吸が

苦しそうでした。

また、ずっとしゃっくりが出ているのが辛そうでした・・・。

せめてこれだけでも止まればいいのにと思い、背中をさすったり

しましたが、いったん止まってもまたすぐに出始め。。。

そして、母たちが帰って2時間くらい経った頃から意識障害が

出始めているのか「あっちに行かないといけない」「隣の部屋に

行かないと」と起き上がろうとするようになりました。

その都度「ここが病室なんだから移らなくていいんよ」と言って

寝かせました。

さっきまでちゃんと会話ができていたので、急激な変化に

とまどいました。

そうこうしていると20時前に弟が到着しました。

面会時間も終わりです。

父に「わしのこと誰かわかる?」と聞くと「そりゃわかるよ、達也

じゃろ」と答えてくれたので少しだけホッとしました。

看護婦さんが、ベッドの配置を壁際に変えてくれて、かつ

歩いて降りようとしたら通報がいく仕組みのマットを下に敷いて

くれたので、気がかりではありましたが、明日の朝には回復

していることを期待しつつ、今日のところは帰ることにしました。

平成28年2月29日  入院

メールで問い合わせをしていた免疫細胞療法のクリニックから

朝、連絡があり、父の今の状態でも白血病など血液が病気になって

いるのでなければ可能との返事がありました。

3か月くらい(1サイクル)やってみないと効果はわからない

とのことですが。

ちなみに治療費は健康保険適用外なので、自費で1サイクルが

約140万円となります・・・。

このような状況になって、さらに悩ませることは逆に酷かとも思い

ましたが、一応母には伝えました。

ホームページを見てみるとは言っていましたが、父の状態の

悪化がそれを許しませんでした。

本来であれば、次回の診察は3月2日のところ、急遽受診した

結果、本人は嫌がっていましたが入院となりました。

血小板だけでなくヘモグロビンも急激に減っているみたいで

かなり息苦しそうとのこと・・・。

木曜日の午後の飛行機を予約していて、今回は私と妻と

息子の3人で帰る予定でしたが、明日の朝一番の飛行機で

向かうことにしました。

夜に少しだけ電話で話しましたが、かなり弱っていて、また

「ごめんね・・・」と言っていました。

謝る必要なんか全然ないのに。。。

明日の朝一番で行くからそれまで元気でいてよと言って切りました。

神様お願いです。

あと何日か時間をください。

そして、本人が望むなら、なんとか最後は家に連れて帰って

あげたいです。

それが寿命を縮めることになるとしても。

平成28年2月28日  行ける時に

今日は特別研修(チューター)がある日ですが、広島に

いることになるのかどうかが流動的だったため、急に出席

できなくなり迷惑をかけるのはまずいということで、事前に

代打をお願いしました。

私のグループの受講生さんたちには、最後までいっしょに

研修を終えることができず申し訳ない気持ちでいっぱいですが

こればかりは・・・。

結果的には、金曜日の夜にいったん東京に帰り、今日も1日

悪い知らせはなかったので、出席できたわけですが、そこは

割り切ることにしました。

そして、想定外の時間ができたので、行ける時にと、散髪に

行きました。

普段、散髪はリラックスできる時間ですが、今回ばかりは

たのむから終わるまでの間に母から電話がかかってくるような

ことがないようにと祈る気持ちでした。

平成28年2月27日  免疫細胞療法

この状況になってはもう・・・とは思うのですが、やはりこのまま

何もできないのは父があまりにも可哀そうで、以前にテレビで

見て気になっていた免疫細胞療法について、今の父の状態でも

おこなうことが可能なのかどうか、広島のクリニックにメールを

送ってみました。

今日と明日はお休みみたいなので、月曜日に返事があると

思います。

この1か月間、病院で告げられる内容は、どれもこれも厳しい

ものばかりでした。

せめてひとつくらい希望をもてる話があってもと思うのですが。

平成28年2月26日  逆に励まされ

父は自室で横になっていたので、お昼前にベッドのそばに行って

話しました。

あまり気を落とさずに頑張りなさいと言われて、さすがに泣いて

しまいました・・・。

せっかく新しい命が生まれてこようというのにこんなことに

なってごめんねとも・・・。

まだ全然親孝行できてないのにと言うと、そんなことはないよ

ええ人生じゃったと思うよ、孫も見れたんじゃしね、と。

息子(孫)のことを本当に溺愛しているので、成長する姿を

もっともっと見てほしかったし、見たかったでしょう。

本当に無念です。

母さんは精神的には強いと思うけど、母さんのこと頼んだよ

とも言われました。

母がご飯の用意ができたと呼びに来ましたが、制してもう少し

話を続けました。

あまり食べたくなさそうでしたが、食べないと体力が落ちる

一方なので、食べに行こうと促しました。

そして、大学受験の時に珍しく父に怒られたことを話しました。

なにがなんでも広島大学に行きたかったのにセンター試験で

大失敗してしまい、私立大の受験を前にして脱け殻のように

なっていたのですが「そんなつまらん気持ちでおるんなら全部

受けるのやめんさい」と怒られ、びっくりしました。

母には小さい頃からよく怒られましたが、父は本当に仕事が

忙しくて、接する時間自体が少なかったですからね。

必然的に怒られる機会もほとんどなく。

もともと穏和な性格なこともありますが。

しかし、その言葉で自分の甘えに気づき、気合を入れなおして

難関校であった関西学院大学に合格することができました。

父は、そんなことがあったかいねえ?と言っていました。

また、司法書士試験の前日に極度のプレッシャーから

一睡もできず、こんなことで集中力がもつのか・・・?と

不安になっていた私に、寝れんかったのは仕方ないんじゃけえ

高めの栄養ドリンクを2本買って、朝と午後の試験前に

飲みなさいと言ってもらい、どれだけ気持ちが楽になったか

わかりません。

このエピソードは披露宴でも話しました。

この2つの話を出して、感謝の気持ちを遠回しに伝えました。

会社を辞めて、司法書士の試験勉強を始めると決意を伝えた

時も一切反対せずに応援してくれたよねとも話しました。

ところで、夕方の飛行機でいったん東京に帰るつもりでしたが

父を見ていると、キャンセルしてこのまま残った方がいいんじゃ

ないかと迷いました。

しかし、〇〇さん(妻)もずっと一人で息子(孫)の相手は大変

だろうから帰ってあげなさいと。。。

結局、予定どおり夕方の飛行機で帰ることにしましたが

父はしんどいみたいで、空港までは行かないよ、わりいねえと

弱々しい声で言いました。。。

そして、こういう状況になった以上、本来なら身の回りの整理を

しないといけないんじゃろうが、する気になれんのよと・・・。

私は、そんなのしなくていいと言いました。

また、遺言とかも書くべきなんじゃろうがねえと言うので

残されたわしらがもめることは絶対ないけえ、そこは安心して

ただ、どうしてもこうしてほしいというのがあるなら書く?と言うと

いや、皆で話し合って決めるならそれでええよと。

妻からは、お父さんが自らそういう気持ちにならない限り

このあとのことなんか絶対に聞くべきじゃないと怒られましたが

まさにそうですね。

到底納得はできないでしょうが、どうしようもないこの現実を

少しだけ受け入れているように見えました。

私は、これが最後の対面になんか絶対にならないようにと

心の中で祈り、また来週の木曜日に今度は息子を連れてくるから

楽しみに待っておいてと言って父の部屋を後にしました。

一昨日の心理状態では、孫に会うのは辛いので来てほしくないと

言っていましたが、今日は楽しみにしとるよと言ってくれました。

平成28年2月25日  父と過ごす時間

息子を保育園に連れて行ったあと、銀座のクリニックで漢方薬と

サプリメントを受け取りました。

病院ではもう何もできませんが、だからといって何もせずには

いられないので、効き目に関わらず少しでも希望をあたえて

いただいたことに感謝です。

その後ダッシュで羽田空港に向かいました。

結果的には充分間に合ったのですが、クリニックでかかる時間が

読めなかったので、余裕をみて今回JALではなくANAをとりました。

乗るのはいつ以来でしょうか?

父母が東京に来る時は基本ANAなので今回はらしいといえば

らしいのですが。

広島空港に着くと、予想外に父もいっしょに迎えに来てくれて

いました。

家に一人にしておくのは母としても心配だったようです。

元気も笑顔もありませんでしたが、会えたことにホッとしました。

車内での雰囲気はいつもと全然ちがい、ギクシャクしていて

私自身戸惑いましたが、つとめて普段通りに話すようにしました。

家に着くと、すぐに漢方薬を煎じて父に飲ませました。

少しでもよくなることを信じて。

父は部屋で休んでいて、時々私がいる部屋に顔を出しました。

話しておきたいことはたくさんあるのですが、それを話すと

いうことは最後の時を連想するので、言えません・・・。

よりによってこんな時に弟は泊まりで大阪に出張なので

夜ご飯は3人で食べました。

テレビのニュースを見ながら、何気ない会話をして。

そんな中でも私はわざとらしくない感じで、父のこれまでのことを

色々話してもらうように話題をふりました。

いつもの笑顔は一切ありませんでしたが、話してくれました。

夜は母の計らいで、元々は祖母が使っていた部屋に父のベッドと

私の布団を用意してくれました。

父と二人だけで寝るのなんて初めてじゃないですかね。

迷っていたのは、私たちが一昨日送って今日届いた父への

プレゼントを渡すかどうかということ。

母が受け取って隠してありました。

まだほんの少しながら希望があった時に書いた手紙なので

読むと本当に辛いだろうなと思い・・・。

特に息子(孫)からの手紙には、今となっては叶わないことが

たくさん無邪気に書いてあるのですから。。。

迷いましたが、私がお風呂に入っている間に渡すよう母に

お願いしました。

そして、隣の部屋にいて、全部見た頃に部屋に入りました。

息子が選んだハッピーバースデーのメロディとアナウンスが

流れる飛行機とスタジアム(紙の模型)があるのですが

音が聞こえてこなかったので「これ音が鳴るんよ、押してみて」

と言いました。

そして、スタジアムの方の「ホ〜ムラン!ハッピーバースデ〜!」

というアナウンスを聞いた時に少し笑ってくれました。

救われた気がしました。

横になって、部屋を暗くすると、30分くらいですが、近所の人の

ことなど他愛もない話をしました。

やはりこのあとのことについては話せず、そのうち父は寝て

しまいました。

会えないまま最後を迎えるのは絶対に嫌だったので、ここ数日の

胸の支えがほんの少しだけとれました。

でもやはりまだ受け入れるのは難しいです。

誰もがいつかは迎える別れですが、まだまだ先だと思って

いましたからね。

私もそのうち寝入りましたが、父がトイレに行く度に起きました。

また、ふと目が覚めては、父の方を見て寝息をたてているのを

見て安心しました。

しかし本当に辛いです。

平成28年2月25日  非公開

父のことについて記録を残しておきたいと思い、ここ数日間

書いていましたが、諸事情により非公開にしました。

ただ、毎日書いてはいるので、いずれは公開する日もくるかと

思います。

もちろんそれ以外のことを書いた時には公開します。

平成28年2月24日  治療断念

本日、病院での治療に向けてのすべての望みが絶たれました。

言葉にするほど簡単ではないのですが、覚悟をきめないと

いけないようです。

明日、銀座のクリニックで漢方薬を処方してもらい、それを

持って実家に帰ろうと思います。

色々な方に迷惑をかけてしまいますが、明日から月曜日までの

予定をキャンセルしました。

皮肉なことに明日は父の71歳の誕生日です。

悩んだ末に昨日、元気を出してもらおうと思い、私と妻と息子で

手紙を書いて出したのですが、今の状況となって明日それを

見ると思うとあまりにも残酷です。

父はまだ現実として受け止めきれていないので、話をする

気力もないらしく、来なくていいと言っていると母から聞きました。

見れば喜ぶであろう息子(孫)を連れていくつもりでしたが

それは本当に勘弁してほしいと・・・。

そして、父の意向をくんで連れていかないことにしました。

しかし、このまま会わずに1月に会ったのが最後だったというのは

私の中ではありえません。

正直なんと話しかけたらいいのかわからないし、会ってみて

私自身どうなってしまうのかもわかりません。

それでも会って話がしたいです。

平成28年2月23日  厳しい宣告・・・  

まだ推測の範疇ですが、非常に厳しい内容の宣告がされました・・・。

詳細を書くにのは辛すぎます。

しかし、最終の結果はまだわかっていないので、1%の可能性に

かけるしかありません。

平成28年2月22日  治療延期

入院前の血液検査により、父の抗がん剤治療の開始が延期に

なりました。

ちょっとよくない数値が出ていて、本日急遽骨髄を検査することに

なったようです。

何もなければというわけにはいかないのかもしれませんが

対処できるものであればいいのですが・・・。

平成28年2月21日  連勝!しかし・・・

昨日に続き、ジャイアンツとのオープン戦も快勝で連勝しました!

新戦力のドラフト1位岡田明丈投手とドラフト6位の仲尾次

オスカル投手も無失点に抑えました。

しかし、よくないニュースも・・・。

今季は先発に復帰して、開幕投手を目指していた大瀬良大地

投手が右肘の違和感で登板を回避することに。

検査を受けてみないと詳細はわかりませんが、開幕は微妙

みたいです。。。

心配ですね。

もちろん、全員が無事にいくということはないわけですが

25年ぶりの優勝を目指すにはいなくてはならない選手です。

軽傷であることを祈ります。

平成28年2月20日  今季初のオープン戦

今日は広島対ヤクルトのオープン戦が沖縄の浦添市で行われ

スカパーで観戦しました。

浦添といえば、2年前に全国青年司法書士協議会の全国大会が

開催されたところです。

また、妻と初めての旅行(結婚前)で沖縄に行った時に私が

レンタカーのお尻を電柱にぶつけたのも浦添です^^;

最近は行けていませんが、家族や友人などを連れていった

「酒菜亭とらや」という石垣牛が食べられるオススメのお店が

あるのも浦添です。

さて、肝心の試合の方ですが、昨シーズンの打撃不振が

嘘のような猛打で11点を取り快勝しました!

守る方も失点はわずか1点のみ。

期待のドラフト2位ルーキー横山弘樹投手も山田哲人と

バレンティンから連続三振を奪い、ローテーション入りを

アピールしました。

オープン戦はあくまでも調整の場であって、勝ち負けは

重要ではありませんが、やはり勝つ方がいいですよね。

幸先よいスタートです!

明日は那覇のセルラースタジアムでジャイアンツとの試合が

あるので、連勝といきたいですね。

平成28年2月19日  新たな戦い

今日は銀座にある漢方のクリニックに行きました。

といっても私の件ではなく父の件で。

起きないことを祈りつつも、いつかはこんな時がくるかもと

思っていましたが、平成25年に手術した父の胃癌の再発

(転移)が発覚したのです。

術後2年ほど再発予防のための抗がん剤治療をおこなって

その間は何もなかったので、なんとなく安心していましたが

1月の血液検査で腫瘍マーカーがひっかかり。

再検査でもひっかかったので、先週CTによる検査をおこない

本人も家族も祈るようによい結果を待ちましたが残念ながら・・・。

わかっている範囲では、肝臓とリンパ節に転移しているのですが

今回は手術ができないとのことなので、来週から抗がん剤治療が

始まります。

しかも今回は飲み薬だけではなく、より強い点滴も使用します。

そこで、少しでも効果を高めるために、また、予測される副作用を

少しでも軽減するために漢方治療を併用してもらおうと思い

私と妻で代わりに先生の話を聞きに行きました。

いろいろと丁寧に説明していただきましたが、厳しい話も聞き

現実をつきつけられました。

しかし、可能性を信じて皆で立ち向かうしかありません。

本人はまだまだ前向きになれる状況ではないので、その分

周りがしっかりしないといけないのでしょう。

といいつつ、私もまだ気持ちの整理はできていませんが。

治療を続けてるのだから再発しないだろう、定期的に検査

しているのだから、仮にまた見つかってもすぐに対処すれば

大丈夫だろうと思っていましたからね。

私自身、癌について知らなすぎというか、再発防止に向けての

考えが甘かった部分もあり、今さらではありますが、もう少し

癌について勉強しようと思います。

平成28年2月18日  TOKYOの次

東京オリンピックの次のオリンピック(2024年)の開催地候補が

4都市に絞られたというニュースを見ました。

どこかというと、ロサンゼルス(アメリカ)、ローマ(イタリア)

パリ(フランス)、ブダペスト(ハンガリー)です。

偶然ですが、ブダペスト以外は、平成24年、25年、26年の秋に

海外旅行で行った都市なので親近感があります!

観光とオリンピックは違うので、どこになればいいというのは

ないですが、せっかくの縁なので、3都市のどれかに決まれば

いいなと思います。

ハンガリーの人には申し訳ないですが^^;

平成28年2月17日  9年ぶりの日南キャンプ

黒田博樹投手が宮崎の日南キャンプに合流しました。

日南は9年ぶりですが、若手の頃から走り込み、投げ込んで

慣れ親しんだ地なので思い入れが深いみたいです。

大ベテランだけに調整は本人に一任されていて、昨年は沖縄の

二次キャンプからの合流でしたが、今年は開幕が若干早まった

関係と、お世話になった人たちに顔を見せたいということで

志願の宮崎入り!

黒田らしいですね。

暖かいとはいえ、ロサンゼルスよりは全然寒いので、ブルペンには

入らなかったようですが、代わりに即席のサイン会を開催して

300枚の色紙にペンを走らせ、ファンを喜ばせたようです。

異例だったのは挨拶。

昨年は「40歳になり先は長くないですけど、覚悟をもって皆さんと

いっしょに戦っていきます。」でしたが、今年は円陣の真ん中で

「なんとかチームに貢献し、優勝できるように頑張りましょう」と

選手たちに一丸となるよう呼びかけたこと!

内には秘めていても、軽はずみに「優勝」の2文字を口にする

ではないので、その覚悟と意気込みがナインに伝わったと

思います!!

また、「出し惜しみなく、全てを伝えたい」とも言っているので

若手選手は恐れ多いでしょうが、気後れすることなく

どんどん話を聞いて、姿を見て吸収してほしいです。

平成28年2月16日  違う雰囲気

高校の友達が代表取締役をつとめる会社が先日移転したので

その登記をするために書類をもらいに行きました。

他の会社のオフィスの一部を間借りしている関係で、その会社と

いっしょに移転したんだそうです。

友達の紹介で私が設立登記をした会社も同じく間借りして

いますが、すべてコンピュータ(プログラム)関係の会社です。

中に入ると、音楽がかかっていて、皆パソコンに向かって黙々と

仕事をしていましたが、スーツを着ている人は誰もいません。

当たり前ですが、司法書士の事務所とは全然雰囲気が違います。

私が勤めていたエレベータの会社とも全然違います。

まさに「自由」とか「クリエーター」という言葉が似合う空間でした。

平成28年2月15日  インフルエンザ

昨日、家族揃って風邪気味と書きましたが、ネットのニュースに

よると、インフルエンザの流行が本格化しているようですね。

3人とも予防接種は受けていますが、かかりたくはないものです。

特に私は特別研修のチューターをあと4回(2週間)終えるまでは

かかるわけにはいきません(><)

代わりがいないですからね。。。

平成28年2月14日②  復興の途中にまた・・・

今日、ニュージーランドのクライストチャーチで大きめの地震が

あったみたいです。

クライストチャーチといえば、東日本大震災の直前に大地震が

あった場所ですが、先週から上海在住の後輩夫婦が旧正月の

休暇を利用して旅行で行っていました。

記事を見てすぐにメールをしたところ、返事があり、今日帰って

きたそうです。

不謹慎かもしれませんが、とりあえずよかった。

後輩のメールによると、クライストチャーチの街は5年経っても

まだ復興してなかったとのことで、今日の地震でまた観光客の

足が遠のくのでは・・・と嘆いていました。

日本でももうすぐ5年を迎えますが、先日、台湾の台南でも

地震があったばかりだし、なんか嫌な感じですね。。。

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