平成28年3月2日① 急変
夜中に電話がなかったのでホッとしていたら、朝、病院から
母の携帯に連絡がありました。
ドキッとしましたが、内容は代わりの部屋が用意できたとの
ことでした。
急遽入院したため、今の部屋は仮の部屋でしたからね。
そんなことでわざわざ電話してこなくてもいいのにと
若干、憤りを感じました。
じゃあ行こうと準備をしていると、10分後にまた電話があり
今度は母の顔が歪み、泣きそうになっていました。
最悪な内容を想像しましたが、話し終えて聞くと、朝見に行ったら
吐血をしていて、意識がなくなっていたと・・・。
今は脳のCTを撮りに行っているが、今すぐどうこうゆうわけでは
ないとのことでした。。。
すぐに出発して、既に出勤していた弟にも状況を知らせました。
息子も連れて行くしかないので、母は私の妻を昨日無理矢理
帰してしまったことを後悔していました。
それより何より、自分だけでも朝一番に行くんじゃった・・・
昨日、無理矢理にでもお願いして泊めさせてもらうんじゃった・・・
と、涙を流していました。
病院に着くと、父は病室に帰ってきていて、点滴をしながら
酸素マスクをつけていました。
目をつむり辛そうに荒い呼吸をしていましたが、意識はないので
痛みや苦しさはないはずとのこと。
ただ、耳は聞こえるはずだとのことなので「父さん、みんな来たよ」
と、話しかけましたが反応はありません。
母はすりよって父の顔を撫でていました。
その後、別室で主治医の先生から癌の手術をした時から
今に至る経緯の説明を受けました。
PCの画面で記録を探しながらでしたが、むしろ私たちの方が
時系列を明確に把握しているので、ちょっとイラッとしました。
頭のCTの画像も見せてもらいましたが、内部で出血している
とのことでした。
一晩、孤独と苦しさと戦ったのでしょうね・・・。
再発したことは、父の兄弟には知らせていましたが、その後の
細かい状況は伏せていました。
父はもちろん、母も余裕がなかったというか、知らせる気力が
なかったという感じですが、さすがにこうなったら知らせない
わけにはいかないので、母がおじさん(父の兄)に知らせて
すぐに向かうということになりました。
といっても2時間弱はかかりそうです。
福岡のおじさん(父の弟)は遠いので連絡しませんでした。
看護婦さんが定期的に部屋に来て、喉と鼻に溜まった唾や血を
吸引してくれましたが、意識がないとはいえ、その時は父の顔が
歪んでいました・・・。
「スッキリするから我慢して頑張って」と声をかけました。
今日の担当の看護婦さんは、やたら明るくて笑顔が多く
この状況にはかなり場違いというか違和感がありましたが
元気を出させてくれようとしているのかなとも思いました。
仕事を抜け出して弟が到着しました。
また、おじさん夫婦も到着して、父に話しかけてくれました。
私と弟と息子はいったん席を外しました。
体に機器をつけているので、心拍数や血圧に変化があると
発報して看護婦さんが見に来ます。
その度にドキッとします・・・。
おじさん夫婦もこのままずっといるわけにもいかないということで
15時半に帰ることになり、弟が最寄り駅まで送って行きました。
息子も気分転換について行かせました。