令和4年2月21日 青春とびしびしばしばしらんらんラジオ⑤
青春とびしびしばしばしらんらんラジオ④のつづき
関学に入学した私は兵庫県(宝塚市)に住むことになり、ある日、ラジオをAMの1350kHzにあわせてみましたが、びしばしは、ノイズ混じりにかすかに聴こえる程度で・・・。
聴くのは無理でしたが、ダメもとで挑戦してみたのは、、、
当時、じゅんこさんという音大生のらんスタがいたのですが、初見の楽譜をいきなり歌えると(@@)
「じゅんこの校歌を歌おう♪」というコーナーがあり、リスナーが通う高校の校歌を歌っていました。
そこで、ダメもとで関学の校歌の楽譜を送ってみたところ、、、
採用されて出演することに!
大学は初めてだったんじゃないですかね^^;
休聴から1年以上が経っていましたが「かっとび、久しぶりだなぁ〜元気〜?」と、一文字さんが覚えてくれていて、すごく嬉しかったですね〜。
あれが正真正銘の一文字さんとの最後の会話です。
一文字さん、お久しぶりです。
「一文字さん、らんスタの皆さん、こんにちは。」で始まるハガキをどれだけ書いたことでしょうか。
30年以上経った今でもRCCラジオの郵便番号と住所が出てきますよ!
一文字さんの作詞で、CHOKKAKUさん作曲の「ラジオから流れる〜素敵〜なトークショ〜♪」で始まる、らんスタのテーマもサビの部分がちょっと怪しいですが、1番なら今でも歌えそうです^^;
びしばしのいろいろな想い出が今でも心に刻まれています。
時には悔しい思いをすることもありましたが、一文字さんにハガキを読んでもらったときのラジオの前での、あのなんとも言えない嬉しい気持ちや恥ずかしい気持ちが本当に懐かしいです。
ネットもない時代でしたが、一文字さんとも、らんスタの皆さんともどこかつながってる感じがありました。
本当は広大に入って「一文字さん、俺をらんスタにしてください!」とお願いしたいと思っていましたが、その夢は叶わずで。。。
一文字さんに憧れて、一文字さんを慕って、ラジオやテレビの業界に進んだリスナーが何人もいると聞いているので凄い影響力ですよね!
父が生きていた頃は、広島空港の送り迎えの車中でラジオをつけてくれて、あっ!一文字さんじゃ、懐かしいのぉと思うことがありました。
ここ数年は、声を聴くことはありませんでしたが「びーしびし、ばーしばし、らんらんラジオ〜」の一文字さんの掛け声で始まるチャラララ〜ラッ♪のオープニングテーマが今でも鮮明に蘇ってきます。
一文字さん、、、
突然の訃報、ただただ悲しいです・・・。
びしばしは私の青春の1ページです。
いや、100ページくらいありますかね。
一文字さんがいなかったら、びしばしも誕生していないわけで、びしばしと出会ってなかったら今の自分はありません。
人生が変わっていると思います。
それは間違いないです。
高校時代のあの青春の2年間を忘れられない充実したものにしていただき本当に本当にありがとうございました。
びしばしは約10年間続いたので、私が知らないこと、知らない一文字さんの方が圧倒的に多いわけですが、広島の中高生リスナーが、それぞれ生きた時代にそれぞれの青春となって、今も皆の心の中で生き続けていると思います。
これからもずっと。
びしびしばしばしらんらんラジオと一文字弥太郎。
私は一生忘れることはないでしょう。
いつか私がそっちに行ったときには、お顔は見せてくれなくてもいいのでびしばしの想い出話をさせてください。
そして、またあの頃のように、私が書いたはがき職人の遊び場と、しまうまコーナーのネタを読んでくださいね。
一文字さん、また会う日までさようなら。。。
R.N かっとびマークⅡ