平成28年3月7日 日課の電話
今日からまた日常が始まり、朝は普通に息子を保育園に送って
普通に事務所に行きました。
保育園のPTA役員を打診されていて、私の性格上、いつもなら
最終的には断りきれずに受けていたような気がしますが
今回は断りました・・・。
精神的なものもですが、来月以降、頻繁に広島に帰る可能性
があり、かえって迷惑をかけてもいけませんからね。。。
日常といえば、父が平成25年6月に癌の手術をして以降
平日は保育園に息子を送ったあと、駅に着くまでの間
ほぼ毎日父に電話をしていました。
まさに日課になっていました。
話す内容といえば、主に息子の様子の報告でしたが、やれ
ご飯を食べるのが遅いだの、好き嫌いが多いだの、保育園の
仕度が遅いだの、愚痴が大半でした・・・。
父は、まあ頑張るしかないねえと言って、いつも穏やかに
聞いてくれていました。
あとは、シーズン中であれば野球談義ですかね。
この話題は、時に意見がぶつかり合うこともありました。
いずれにしても他愛もない話ばかりでしたが、1日10分としても
2年8か月となると、塵も積もればで100時間を超えています。
私は高校生までは実家にいましたが、先日も書いたように
父は平日は会社(しかも朝は早く、夜はめちゃくちゃ遅い)
休日は農業と、本当に忙しくて、あまりコミュニケーションをとる
時間がありませんでした。
なので、日常生活のことや学校、進路のことなど全て母に
任せていたこともあり、父とはそんなに多く話した記憶が
ありません。。。
そんな感じだったので、仮に父が家にいたとしても何かあれば
母に話すというのが自然な流れになっていました。
大学で関西に、社会人で東京に出てからは、それこそ話す
機会なんかないですよね。
当時は携帯もなかったし、携帯が普及してからも父はしばらく
持たなかったので。
そんなこともあって、この2年8か月の父とのやりとりは
私が広島を離れてからの24年間、もっというなら生まれてから
42年間の空白をほんの少しだけ埋められたような気がしますが
「はいよ。おはよう。(保育園)行った?」という毎日お決まりの
言葉がもう聞けないと思うと寂しいです。