令和4年3月6日  郷愁

今日も散髪のあとに妻と下の子を呼んで、板橋本町の美味しん坊で、お昼を食べることに。しかし、何を思ったか、待合せの時間を1時間遅く伝えてしまい。途中気づきましたが、1時間早まるのも慌ただしいだろうからまあいいかと。ただ、待つ間何をするか、、、公園でネットでも見てるかと向かいましたが、今日は思ったより寒くて・・・。こんな予定じゃなかったので、ダウンじゃなく、普通のジャケットで来ていました(><)とはいえ、喫茶店に入るのも微妙なので、あるモノを見に行ってみることに。板橋本町は、私が会社員時代に7年半住んでいた場所で、今も散髪は同じお店に来ています。そこで、当時住んでいた会社の寮に行ってみることに!純粋な自社の寮ではなく、いろいろな会社がシェアしているドーミー板橋本町という建物でした。部屋は綺麗ではあるものの狭くて、トイレや洗面所、洗濯機は共用なので気を使う部分はありましたが、家賃(自己負担)は、光熱費込みで、ひと月たったの7,000円でした!まあ、その分給料は競馬(馬券と一口馬主)の方にいっていましたが。。。大浴場もありましたが、私が入るのは月に1〜2回くらいで・・・。もったいない話ですが、残業か飲みかで、大浴場が開いている時間に帰宅できることなんて皆無に等しかったですからね(><)先週行ったラケルや井の頭公園が12年ぶりとかでしたが、ここはもっと久しぶりですかね。行ってみると、、、ありました!




さすがに中には入れませんが、なんかいろいろ思い出しました。まだまだ時間があったので、次は、会社を辞めたあと、司法書士の受験生だったときに住んでいたアパートに行ってみることに。辞める直前に平行して勉強を開始していたので、ゆっくり物件を探す余裕もなく、近くで探して、徒歩で何回も往復して引っ越ししました(@@)わずかにあった家具類や電化製品は、同じ寮に住んでいた後輩に車で運んでもらい、新たにロジャースで買ったものは、先輩が車で運んでくれました。吟味する余裕がなかったとはいえ、これから数年間勉強するということで静かな環境というのは必須項目でした。実際、奥まった住宅街の中で、こりゃいいなと思いましたが、すぐに、、、それまでいた会社の中は、常にワイワイガヤガヤしていて、会話があったわけで、静けさの中、独りぼっちなのは耐えられず、押し潰されそうになりました(><)結局、1か月も経たないうちに勉強はすべてLEC(予備校)の自習室でやるようになりました。もちろん会話はないものの、同じ受験生がたくさんいて、ガチャガチャしているのは妙に落ち着きました^^;本蓮沼駅の方面から行けば迷わずに行けますが、遠回りになるので、記憶が怪しいながらも近道を。遠くに公園っぽい木々を見つけて、なんとかたどり着きました!懐かしいですね〜。ただ、アパートの名前がメゾンド勝見からメゾンド浦島に変わっていて。。。まさに浦島太郎です^^;ここでもいろいろなことを思い出しながら、今度は正規の?ルートから寮に戻ることに。超久々に商店街を通りましたが、残っているお店も多かったですかね。なぜこの店がつぶれないんだろう??という何屋かよくわからない雑貨屋?さんが、まだありました(@@)まったく記憶から抜け落ちていたのは、近くの稲荷神社。25年越くらいで初めてお詣りしました。当時、いかに寮と板橋本町駅の最短ルートしか歩いてなかったかが伺えます。実際、近隣の散策なんかほとんどしたことがなかったですよね。寮のすぐ裏には、都内ではそこそこ有名な温泉施設のスパディオがありますが当時は、なんかがあるよなくらいで、正体を知ったのは、司法書士になって銭湯(スーパー銭湯)好きになったあとですからね(@@)今の自分のまま当時に戻ったら、ひと月に1回くらい行ってそうです。いずれにしても懐かしい想い出に浸れたのはよかったです。学生時代に住んでいた逆瀬川(宝塚)のアパートや上田(長野)で住んでいたアパートも見てみたくなりました。最後、駅に向かう時によさげな沖縄料理屋さん(当時はありませんでした)を発見しましたが、最強の美味しん坊があるので、行く機会はなさそうですね。

令和4年3月5日  死語?  

今日の夜は、行政書士の先輩と長野の司法書士の友人、妻の地元(大分)の親友とのオンライン飲み会でした。妻は最初に登場したあと、息子たちを寝かせてくるといって自分もそのまま寝てしまいましたが(-_-;)だいたいいつもそうです。。。全員沖縄旅行のメンバーで、元祖オンライン飲み会メンバーですが、話の中で「オンライン飲み会」という言葉自体死語というか、聞かなくなったよねと。確かに。。。特にコロナ1年目の頃は、会えない中、こりゃいいなと思ったし、その後もいくつかの集まりで何回かやってはいますが、数えるほどで、コロナ前のリアル飲み会の回数と比べたら20〜30分の1くらいでしょうか。webの会議や研修ほどには流行らなかったなと。まあでも今日もそうでしたが、やれば楽しいんですけどね。そもそもコロナとは関係なく、長野や大分だと、そうそう会えないわけでその意味では画期的ですよね!ただ、長くなりがちで、かつ、エンドレスなのがちょっと。。。ところで、いつも長野の友人がセッティングしてくれますが、zoomではなくFaceTimeやLINEで、今日はFaceTimeでした。zoomとちがい40分で切れることはないので、いちいち入りなおす必要はありません。逆に終わるタイミングもありませんが。。。  さて、沖縄旅行メンバーだけに過去の旅行の話や映像で盛り上がりましたが今年はまだ全員で行くのは厳しそうですよね・・・。希望的観測で、来年は行けるとして4年ぶりですか(@@)オリンピックですね。一般の人(?)だと、4年ぶりの方が普通か、むしろスパンが短い方なのでしょうが、2019年まで18年連続で行っていた沖縄病の人(私)にとっては。。。沖縄旅行のメンバーは、私を起点にした雑多な構成(寄せ集め!?)でありこの人とこの人は、沖縄旅行以外は接点なしという関係性の人もいるのでまさに4年ぶりになる可能性が濃厚です(@@)

令和4年3月4日  内容証明郵便

とりあえず今日、被後見人さんの確定申告をおこないました。毎年そうですが、まずはこれで勘を取り戻して、自分の申告の作業をする感じです^^;来週が勝負ですね。さて、今日はそのあと、かなり久々に内容証明郵便を出しました。同時に4通出しましたが、同職の方はなんの郵便か検討がつくかと。いつもながら新宿郵便局はさすがの早さでしたね。参考までに窓口で印鑑について聞いてみたところ、内容証明の押印、割印は変わらず必要とのことでした。ていうか、、、印鑑云々の問題ではなく、紙じゃなくて電子内容証明郵便を利用しないとダメですよね・・・。コロナ禍においてはなおさら(-_-;)前に登録しようとしたら途中うまくいかなくて諦めましたが、再度チャレンジしてみます!そんな大それたことじゃないですね。。。

令和4年3月3日  ひなまつり

今朝、妻が「今日は、ひなまつりなのになんにもないよ・・・」と言うので「うちは、男の子ばっかで女の子いないから関係ないじゃん」と言うと、、、「私、女だけど・・・」と(@@)失礼しました。。。ただ、女の「子」ではないかと。思い出したのは、小学生の頃、〇〇くんは△△さんの家のひなまつりに呼ばれたらしいよ!とかいうのが噂になったりしていましたね^^;私は呼ばれたことはありませんが。。。ひなまつりということで、これは保育園で息子がつくったものです。





夕食には、ちらし寿司的なものが出てきました。が、、、息子たちは食いつきが悪く(-_-;)ビミョーなひなまつりでしたね。

令和4年3月2日  七回忌

今日は父の命日でした。早いもので七回忌です。今、身近にお母さんの癌治療で戦っている方がいることもあり、当時のことを思い出すことが増えました。さて、本来であれば法要のために帰省するところですが、こんなこともあろうかと思い、母と相談して少し早いですが1月3日に行いました。といっても家族だけで、お寺の住職にお経を読んでもらっただけですが。今の感染状況で帰るのははばかられるので、やっておいてよかったなぁと。今日は携帯の中のお墓の写真を机に置いて、お参りしました。いろいろな報告や父へのお願い事も。そのあと息子たちにもと思って、写真の画面を出すと上の子が「〇〇家ってなに?」と。え?あ、、、よく見ると白と金色の初盆の灯籠が立っていて・・・。お墓の写真なんて、そうそうないので、てっきりこれだと思ったら、母方のばあちゃんのお墓でした。。。あらためて父のお墓の写真(昨年母が撮影)を探しだし、息子たちにお参りさせました。今、学校や保育園などで何をやっていて、これから何を頑張るのかを。そのあと私も、どっちの写真にお参りしたか定かじゃないので、あらためて父さん、ごめんと^^;午後には、母から今日お参りして撮った写真が送られてきました。コロナの影響で、祭事などもいろいろ様変わりしていると思いますがこじんまりという傾向は、終息後もそのまま続くでしょうね。

令和4年3月1日  春は〇〇の季節

今日からもう3月ですか。月が変わる度に書いているような気がしますが、早いですね〜。また、これも毎年書いているような気がしますが、昔から春は、桜が綺麗なこと以外、あまり好きな季節ではなく・・・。その理由は、今でこそそのようなシチュエーションもほとんどないですが私にとって春は、別れの季節というイメージなんですよね。。。逆に、出会いの季節だ!という人は、強いな〜と感心していました。あと、昔は無縁でしたが、今はあれの季節ですからね。そう、花粉症です(><)早い人は2月の中旬くらいから反応しているようですが、私は今日、これはもしかして・・・と。憂鬱ですね(-_-;)こっちとはお別れしたいです。。。

令和4年2月28日  ミステリー

年明けからから新しいドラマが始まっていますが、我が家(といっても私の独断)でチョイスしたのは「ミステリと言う勿れ」と「DCU」阿部寛さん主演のドラマはハズレがない印象ですが、DCUは元ダイバーとしても外せないかな〜と^^;ただ、内容が難しいこともあり、下の子があまり見たがらず・・・。5歳児にとっては、どれも難しいはずですが、今まで見てきたドラマとは何かが違うんでしょうね。。。一方のミステリの方は「ととのう」(主人公)とか「らいか」といった登場人物の名前を言ったり、主題歌を口ずさんだりしていて好きみたいです^^;妻は原作(マンガ)を知っているので、いろいろ違和感があるようですが。。。よく見ているガールズなんとかというサイトでもそのことが話題になっていて登場人物のイメージが違うとの不満が続出していると(-_-;)まあ、マンガやアニメをドラマ化すると、多かれ少なかれそういうことはありますよね。。。私は原作の存在すら知らなかったので、楽しく見ています♪やっぱりミステリーものは面白いですからね。息子たちが早く見たいと言うので、今日は初めて録画ではなくリアルタイムで見ました。古い館に数人が集まって謎解きゲームをするという設定に思い出したのは金田一少年の事件簿。前にも書きましたが、大学生以降に全巻買っていた数少ないコミックです。3回くらい読みなおしていますしね。妻にも無理矢理持っている全巻を読ませました^^;確か香港九龍財宝殺人事件を買った際に、なぜか行方不明になってしまいそこでストップしていましたが、ネットで見てみると、、、続きだけでなく、金田一37歳の事件簿なるものも出ているんですね(@@)また読みたくなりました。ただ、、、アメトーークのマンガ大好き芸人で得た情報をもとに買った数冊のマンガも妻は全部読みましたが、私は1冊も・・・。マンガを読む時間もないほど忙しいわけではありませんが、気持ち(心?)の方に余裕がない感じですかね。。。金田一の続き買うかな!

令和4年2月27日  吉祥寺

今日は暖かったですね〜。春の兆しを通り越して春の陽気でした。ということで、妻と下の子と井の頭公園に行ってみることに。と、その前に吉祥寺でお昼を食べることにしました。吉祥寺は、ほとんど来たことがない場所ですが、東京の住みたい街では常に最上位ですよね。どこで食べるか決める際に少しだけ散策しましたが、わかる気がしました。縦と横の商店街に挟まれたエリアには、いろんなお店がひしめき合っている様子ですが、お洒落なお店ばかりではなく、古き良きみたいな雰囲気も同居しているような感じで。今までほとんど縁がなかったエリアですが、上の子の関係で今後は週末にちょいちょい来ることになりそうなので、研究してみますかね♪確か本土初上陸の沖縄のステーキ屋さんがあったような??最終的に食べることにしたのはラケルです。私はどこでもよかったので妻のチョイスですが、超優柔不断なので、最後は私が決めた感じですかね。。。いや、息子かな^^;ラケルはオムライスで有名な洋食屋さんですが、まだ結婚する前に池袋店に行って以来なので、12〜13年ぶりでしょうか!?私は2回目ですが、妻は若い頃、姉ちゃんとよく来ていたみたいです。私はこれ(オムライスとチキン)にしました。



妻は間違って中身が五穀米みたいなやつにしてしまい・・・。健康的ですが、オムライスは、やはりチキンライスじゃないかと(-_-;)息子はお子様ランチみたいなやつにしましたが、全部食べていました。食後は井の頭公園に行きましたが、こちらも同じく結婚前に来て以来です。確か、ここでデートすると別れるみたいなジンクスがありましたよね^^;ボートに乗ったらでしたっけ??入口の手前にある、いせやという焼き鳥屋さん(前回は入りました)が有名かと思いますが、今日もモクモクと煙が上がっていました。ただ、もっと小汚ない(すみません・・・)昔ながらの〜というイメージでしたが、改装されて綺麗でお洒落な感じになっていました(@@)公園にはたくさん人がいましたね〜。スワンボートは順番待ちで、池の中でもところどころで渋滞をおこしている感じでした。。。




ビニールのボールでキャッチボールをしたあとは、せっかくなので一周してみることに。確かリスを目の前で見れたと思うのですが、残念ながら今日は(今は?)やってないようで・・・。しばらく歩くと弁財天がありましたが、これは前回は気づかなかったですね。




お賽銭をしてお詣りしました。息子はおみくじも。途中、遊具があり遊ばせましたが、息子には物足りない感じで・・・。ここはどちらかというと大人のための公園ですね^^;

令和4年2月26日  激痛(><)

夜中に肩と胸のあたりに何かがドスーンと落ちてきて、あまりの痛さに「イターーーっ!!!」と叫んで起きました(><)正体は妻で、トイレに行ったあと、よろめいたみたいです。うちは布団なので、こういうことが起こり得ます。。。息子たちが半端なく寝相が悪いですしね(-_-;)冬でもおかまいなく布団(毛布)から出ていくので、1〜2時間おきにかけ直しています。。。私は寝つきが極めていいので、そのあとすぐにまた寝れますが、これがそうじゃない人だと(@@)朝、起きると肩と胸のあたりがかなり痛むので、わざとじゃないのはわかりつつも妻に文句を言うと「なんであんな声が出せるのか・・・、逆にこっちがめちゃくちゃびっくりしたわ」と言い返されました・・・。そこで、冗談で「出産と同じくらい痛かったわ・・・」と言うと、さらに言い返されたのは、、、「んなわけないじゃん!!だとしたら(もし女性だったら)出産のときそばで励ましてくれている義母に向かって、あまりの痛さに錯乱してうるせえ!このク〇ば〇ぁ!とかゆうタイプやな」と反撃されました(-_-;)

令和4年2月25日  校正体験

今日は小学校の社会見学でした。今は、コロナの感染が不安な家庭は、学校の授業自体来なくてもよい(休み扱いにならない)ことになっていますが、社会見学も選択希望制で、事前の出欠確認がありました。妥当ではありますが、なんだかなぁ・・・という感じです。学校に対してではなくコロナに対してですよ。弁当はこれです。




フライドポテトだけ私が準備しました^^;行き先は読売新聞社とパナソニックセンターでしたが、この状況で2箇所もよく受け入れてくれたなぁと(@@)昨年の保護者会では、できれば予定を延期してでも行きたいが、なかなか受け入れ先がなくて・・・と先生も頭を抱えていましたからね。。。読売新聞では、原稿の校正を体験したようです。間違い探しですね。このあいだ、びしびしばしばしらんらんラジオ(びしばし)に投稿していた新聞のことを思い出した(書いた)直後だったので、おっ!と思いました。パナソニックセンターでもいろいろ体験できたみたいで面白かったようです。

令和4年2月24日  パスポートの日

しばらく、びしびしばしばしらんらんラジオと一文字弥太郎さんのの想い出について書いていたため過ぎてしまいましたが、2月20日はパスポートの日だったようですね。私の分は、旅行以外の目的で必要になったため、期限が切れていたのを一昨年の年末につくりなおしましたが、久々に息子たちのを見てみると、、、上の子のは令和2年の3月に切れていました。。。一回だけですが、上海に行ったので作った意味もありますが、下の子のパスポートは・・・。今年の10月までなので、まだ切れてはいないものの、一回も使わずに失効(更新)することになるのは確実です・・・。もったいないですね。。。行くのが決まってから作ればいいじゃんと言われればそれまでですが(-_-;)当時、釜山なら近いし、1歳でも行けるかも?ということで、久々の海外旅行の機運が高まっていたのは事実ですが、北朝鮮の関係で緊迫した状態になりましたからね。。。新しいパスポートですが、、、申請手続きの際の戸籍謄本の要不要があるので、期限切れ前に手続きしますかね。今のこの状況だと、またしてもフライング気味ですが、コロナが終息したら絶対に海外に行くぞ!!!という意気込みの意味でも^^;仮に来年行けるとすると、8年ぶりなので、どこに行くかめちゃくちゃ悩むでしょうね〜。

令和4年2月23日  週休3日

今日は一週間のど真ん中の祝日でしたが、私は三連休よりもこっちの方が好きですかね。三連休だと最終日には休日のありがたみが薄れてくるというか、次の日の仕事が普通の土日よりも面倒になるというか。。。そういえば、コロナの初期の頃は、週休3日制導入なんていう話があったような気がしますが、実際に実行している会社があるんですかね?あれ?これって企業単位ではなく、国の主導でしたっけ??記憶が・・・。将来的にはAIが確立してさらに効率化が進み、週休4日で休みの方が多いなんて時代がくるかもしれませんね。

令和4年2月22日  本当にお疲れさまでした。

今日からまた日常の話題に^^;今日は2022年2月22日ですが、東京の22時22分の気温は2.2度だったようです(@@)さて、今日は東京青年司法書士協議会(青司協)の定時総会でした。これから各団体の総会シーズンに突入しますが、毎年口火を切るかたちです。リアルでの出席も検討しましたが、保育園の迎えもあるのでzoomで参加。ところで、東京青司協の会長職は2期(2年間)つとめるのが慣例ですが現会長(私と同じ部屋に事務所があります)は異例の3期となりました。想定外のコロナ禍により、オリンピックと同じで、2020年に開催されるはずだった全青司東京全国研修会が1年スライドされた影響ですね。あの混乱の中で会長を替わるのは大変だろうということで。。。退任の挨拶でも話していましたが、司法書士登録とほぼ同時に青司協の幹事(役員)になったので、丸10年つとめたことになると。私が7年(だよな?)なので長いですよね!これも慣例で、会長は後見的な立場から退任後も次の会長の在任中は平の幹事として残るのですが、今回は完全に退任するみたいです。10年間、毎月幹事会に出席していたのが、来月からないというのは最初は違和感があるでしょうね。それが、解放感か喪失感かは・・・!?いずれにしても、会長の3年間、10年間という長きにわたる幹事の役目本当にお疲れさまでしたと言いたいです。また、次期の会長は、引き続きのコロナ禍での大変さと、アフターコロナの舵取りをすることになる可能性もあるので、そちらも大変だと思いますが頑張っていただきたいです。2年後もまだコロナというのは嫌すぎるので、アフターはマストですかね!

令和4年2月21日  青春とびしびしばしばしらんらんラジオ⑤

 

青春とびしびしばしばしらんらんラジオ④のつづき

 

関学に入学した私は兵庫県(宝塚市)に住むことになり、ある日、ラジオをAMの1350kHzにあわせてみましたが、びしばしは、ノイズ混じりにかすかに聴こえる程度で・・・。

聴くのは無理でしたが、ダメもとで挑戦してみたのは、、、

当時、じゅんこさんという音大生のらんスタがいたのですが、初見の楽譜をいきなり歌えると(@@)

「じゅんこの校歌を歌おう♪」というコーナーがあり、リスナーが通う高校の校歌を歌っていました。

そこで、ダメもとで関学の校歌の楽譜を送ってみたところ、、、

採用されて出演することに!

大学は初めてだったんじゃないですかね^^;

休聴から1年以上が経っていましたが「かっとび、久しぶりだなぁ〜元気〜?」と、一文字さんが覚えてくれていて、すごく嬉しかったですね〜。

あれが正真正銘の一文字さんとの最後の会話です。

 

一文字さん、お久しぶりです。

「一文字さん、らんスタの皆さん、こんにちは。」で始まるハガキをどれだけ書いたことでしょうか。

30年以上経った今でもRCCラジオの郵便番号と住所が出てきますよ!

一文字さんの作詞で、CHOKKAKUさん作曲の「ラジオから流れる〜素敵〜なトークショ〜♪」で始まる、らんスタのテーマもサビの部分がちょっと怪しいですが、1番なら今でも歌えそうです^^;

びしばしのいろいろな想い出が今でも心に刻まれています。

時には悔しい思いをすることもありましたが、一文字さんにハガキを読んでもらったときのラジオの前での、あのなんとも言えない嬉しい気持ちや恥ずかしい気持ちが本当に懐かしいです。

ネットもない時代でしたが、一文字さんとも、らんスタの皆さんともどこかつながってる感じがありました。

本当は広大に入って「一文字さん、俺をらんスタにしてください!」とお願いしたいと思っていましたが、その夢は叶わずで。。。

一文字さんに憧れて、一文字さんを慕って、ラジオやテレビの業界に進んだリスナーが何人もいると聞いているので凄い影響力ですよね!

父が生きていた頃は、広島空港の送り迎えの車中でラジオをつけてくれて、あっ!一文字さんじゃ、懐かしいのぉと思うことがありました。

ここ数年は、声を聴くことはありませんでしたが「びーしびし、ばーしばし、らんらんラジオ〜」の一文字さんの掛け声で始まるチャラララ〜ラッ♪のオープニングテーマが今でも鮮明に蘇ってきます。

一文字さん、、、

突然の訃報、ただただ悲しいです・・・。

びしばしは私の青春の1ページです。

いや、100ページくらいありますかね。

一文字さんがいなかったら、びしばしも誕生していないわけで、びしばしと出会ってなかったら今の自分はありません。

人生が変わっていると思います。

それは間違いないです。

高校時代のあの青春の2年間を忘れられない充実したものにしていただき本当に本当にありがとうございました。

びしばしは約10年間続いたので、私が知らないこと、知らない一文字さんの方が圧倒的に多いわけですが、広島の中高生リスナーが、それぞれ生きた時代にそれぞれの青春となって、今も皆の心の中で生き続けていると思います。

これからもずっと。

びしびしばしばしらんらんラジオと一文字弥太郎。

私は一生忘れることはないでしょう。

いつか私がそっちに行ったときには、お顔は見せてくれなくてもいいのでびしばしの想い出話をさせてください。

そして、またあの頃のように、私が書いたはがき職人の遊び場と、しまうまコーナーのネタを読んでくださいね。

 

一文字さん、また会う日までさようなら。。。

R.N かっとびマークⅡ

 

令和4年2月20日②  青春とびしびしばしばしらんらんラジオ④

 

青春とびしびしばしばしらんらんラジオ③のつづき

 

〇〇さんはその後、らんスタを卒業しました。

めちゃくちゃ悲しかったですね・・・。

1年前もそうでしたが、比べものにならないくらい。。。

ただ、、、

もう時効?だからいいですかね??

らんスタとリスナーがイベント以外で会うのは、ご法度だったこともあり「今はダメじゃけど、らんスタ卒業したら遊びに行こっか」と言ってくれて3月に私と親友と出かけてくれました!

といってもまだお酒も飲めないし、映画(ゴッドファーザーPARTⅢ)を観たあと、ケーキ屋さんで話をしてという感じでしたけどね。

映画は隣に〇〇さんがいると思うと、ところどころ内容が入ってこなかったような^^;

楽しかったですが、その時間が楽しい分だけ・・・。

お別れの時がきて、会うのはこれで最後かなと思うと、胸がキュッとなる感じでした。。。

今でも広島市内にある某デパートの入口のところを通ると想い出しますね。

いやぁ〜、まさに青春ですね〜。

実際、それ以降は会ってないので、あのとき(1991年の春)が最後です。

アイドルとかではないけど、身近にいる人でもない〇〇さん。

恋愛感情は・・・!?

年月が経っているとはいえ、書くのはちょっと恥ずかしいですが、、、

好きだったかな。

いや、大好きでしたね。

ただ、自分の中でもわきまえてはいました。

春には大学を卒業して社会人になろうかという〇〇さんは、完全に大人の女性であり、片やこっちは、まだ大学生ですらなく、これからやっと受験生になるという高校生(のガキ)ですからね。。。

憧れのお姉さん的存在ですかね。

〇〇さんも、私や親友のことは、かわいい弟みたいに思ってくれていたと思います(そうだよね?)

年上の人を好きになったことなど一度もなく、なるわけがないというか対象と思ったこともなかったので、自分でも意外すぎましたが、私の中での理想の女性像になり、逆に今後は同い年や年下の子は好きになれないかも!?なんていう懸念がありました。。。

杞憂でしたが^^;

 

さて、現実に目を向けると、、、

楽しくてキラキラしていたリスナー人生とは裏腹に、成績の方は救いようがないくらいズタボロになっていて、高二の三学期にはクラスでもドベから3番目に・・・。

留年生の先輩がいたし、もう一人は半端ないアホだったので(お前が言うなですね・・・)実質はドベでしょうか(-_-;)

特に数学と理科が絶望的で、文系に変更することにしたのですが、かといって英・国・社ができるわけでもなく・・・。

しかし、まだマシというか、そうするしかないという状況でした・・・。

二年生の最後の三者面談で担任からは「文転したけえゆうてお前が行ける大学なんかないわ・・・、家から遠いのにわざわざうちに入学した意味がない・・・、地元の公立に行けばよかったのになんのためにうちに来たんか・・・」などと散々に言われ、帰りの車の中で母は情けなくて泣いていました。。。

私は、、、

母に申し訳ないと思ったのもあるし、〇〇さんにいい報告をするためにも広大(広島大学)に入るしかない!と決意しました。

あとは、自分自身がどうしてもらんスタになりたい!と思っていたので、そのためには広島に残る必要があり、広大合格が必須でした。

とはいえ、この時点では相当無謀でしたが(><)

まんねん1回戦負け(しかもコールド?)のチームが、来年甲子園行くぞ〜!と言っているようなものですかね。。。

 

〇〇さんたちがらんスタを卒業したあと、しばらくすると私も休聴宣言をして事実上のはがき職人引退となりました。

そして、4月1日からは別人のように猛勉強しました。

残された時間は、たったの9か月でしたが、びしばしのこと以外は、ほぼ空っぽになっていた頭の中に知識がどんどん入ってくるのはありましたね^^;

そして新年を迎え、、、

数学と理科は微妙な克服状況のまま迎えたセンター試験で、数学を大失敗してしまい、広大合格の望みは、ほぼ断たれました・・・。

らんスタの途も・・・。

悔しくて悲しくて、こたつの中で泣きましたね。。。

センター試験のあとは1月末まで廃人のようになっていました・・・。

普段は怒らない父の喝で目を覚まして私立の受験を迎えましたが、父の話はまた別の機会にでも。

 

受験が終わり、最終的には、、、

予定どおり二次で広大にチャレンジしたものの、落ちてしまいました・・・。

しかし、どこにも行けないと言われるほどのひどい状況から起死回生をはかり、関西学院(かんせいがくいん)大学に合格することができました!

しかも2学部のオマケつきで。

これは紛れもなく、びしばしの存在と〇〇さんのおかげです。

また、この経験があったからこそ、司法書士試験の勉強を始めるときも頑張ればなんとかなるだろ!と思えたというのはありますね。

心配してくれていたみたいで、〇〇さんが3月に電話をかけてくれたのはちょっと驚きましたが、嬉しかったですね〜。

広大はダメだったけど、関学に行くことにしたよと報告しました。

頑張れたんは〇〇さんのおかげよ!とは言えなかったですけどね^^;

 

大学に入ったあと、何回か手紙のやり取りがありましたが、結婚することになったよ〜と報告を受け、確か、思いきって祝福の電話をしてみたときに話したのが最後ですかね。

このときもまだ携帯電話なんかない時代です。

一時期、年賀状が届かなくなりましたが、数年後に奇跡的に復活したので司法書士になったことや私の方の結婚、子供が生まれたことの報告ができたのはよかったです!

ただ、残念ながらその後また途切れてしまい・・・。

「〇〇さん、元気にしてますか?」

純粋にあの頃のびしばしの想い出話がしてみたいですね。

 

青春とびしびしばしばしらんらんラジオ⑤へつづく

 

令和4年2月20日①  青春とびしびしばしばしらんらんラジオ③

 

青春とびしびしばしばしらんらんラジオ②のつづき

 

びしびしばしばしらんらんラジオ(びしばし)は、プロ野球の中継のあとに始まるので、試合が長引くと、その分放送時間が短くなります。。。

テレビと違い、ラジオは試合終了まで中継するので、終盤に追いつかれて延長になった日には「おいおいカープ、なんしょんやぁ・・・」と(-_-;)

それならいっそのこと逆転された方が・・・とかは思ってないですよ!

野球がシーズンオフの間は、きっちり21時に始まるので、当時は完全にびしばし>カープでした^^;

また、普通は週末がくると嬉しいはずですが、土日は放送がないので早く来週になってくれ〜という感じで。

まさに頭の中の8割(もっと!?)が、びしばしでしたね。

 

懐かしくて、何十年ぶりかに想い出の品を探してみたところ、グッズ類は全部広島の実家にあると思いますが、イベントでらんらんスタッフ(らんスタ)にメッセージを書いてもらったノートや手紙などが出てきました!

封筒ののりの部分の色が30年の年月を感じさせます^^;
 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、私自身存在を忘れていたのが、採用されたハガキ等の記録(@@)

そういえば作ったなぁと。

コーナー名とネタの概要、もらったグッズが一覧になっていました。

こういうのを作るところって、良くも悪くも自分らしいです^^;

ネタの投稿は、はがき職人の遊び場と、しまうまコーナーというのがあり、それぞれ曜日によってテーマが違っていました。

はがき職人〜の方は、作詩やドラマの脚本みたいな感じの難易度が高めのテーマが多めで、私は短い一発ネタのしまうま〜の方が得意でした。

コーナーの時間になり、読まれるかどうかのあのドキドキ感は、今でも覚えています。

で、うけたらラジオの前で一人でにやけたりして^^;

逆にうけないと、恥ずかしくて、しばらく呆然みたいな。。。

あまりにすべると、自分のことは棚に上げて、あぁ・・・これなら読まれない方がよかったかも・・・などと身勝手なことを思うこともありました(-_-;)

せっかく選んでもらったのに本当にごめんなさいm(__)m

読まれた中で面白かった数人はグッズをもらえるのですが、一文字さんの独断と偏見?で決まることもあるので「え〜、一文字さん、そりゃないよ〜」なんてことも。

懐かしい我が青春ですね。

びしばしのリスナー(はがき職人)だったのは、1年と約10か月でしたが、あらためて記録を見てみると、はがき職人の遊び場で22回、しまうまコーナーで78回採用してもらっていました!

あわせてちょうど100回ですね。

もちろんその影には、何倍ものボツネタがあるわけですが。。。

同世代の強力なライバル(と勝手に思っていた)自転車に乗れない少年K君と杉本宇宙君には、若干(?)かなわない部分もあったかな〜と思いますが、こちらは新聞製作との二刀流(替え歌等も入れて三刀流!?)だったということで^^;

その他、ネタとは関係ない諸々の投稿で読んでもらったのが10数回。

新聞は、番外編の「といれ新聞」も含め22回発行していました。

新聞を作らずに、はがき職人に徹していたらもっともっと読んでもらえたかな?と思わなくもなかったですが、新聞製作において親友とともにした苦労や葛藤、喜びや達成感などは、また違った充実感がありましたからね。

この日記を書きながら、コピーって取ってたっけ?と思ったのですが、親友から1回分を除いて全部あるけえ、今度PDFを送っちゃるよとのメールが(@@)

1つ完成したら即次回号の企画・構想という感じで、振り返る余裕は全然なかったので、ある意味30年経って初めてじっくり見ることになる感じです。

ちょっと恥ずかしいですね〜。

恥ずかしいといえば、イベントで他のリスナーさんからサインください!と、言われたこととかもありましたが、そんなこと人生でもう二度とないでしょうね^^;

 

そんな、まさに生き甲斐だったともいえるリスナー(はがき職人)生活も受験生になる日が近づくにつれ、だんだん終わりが見えてきました。。。

また、〇〇さんは短大の2年生だったので卒業が近づいていました。

そんな中、卒業するらんスタが二人一組でリスナーの家を訪問して料理を作るという企画があり、応募しました!

誰に来てほしいかは選べないのですが、ある日突然、学校から帰った直後にディレクターさんから電話があり、行く予定だった家が急遽ダメになったらしく・・・。

〇〇を行かせるから、なんとか今日お願いできない!?と(@@)

痛いとこを突かれましたが、もちろん〇〇さんが来てくれるなら希望どおりなので、母に事情を話し、親友と中学の陸上部時代の友達でリスナー仲間でもあった2人にも今夜うちに来るように打診しました。

RCCに電話して了承すると、〇〇に替わるから材料の打合せとかしてということで「ハンバーグ作るけえ、あれとあれとあれを準備しといてね」と。

電話のあとは、いろいろバッタバタでしたね。

ハート型のハンバーグという想定でしたが、かたちはまあ^^;

今回、親友とのメールのやり取りで「あったよのぉ、諏訪家からの生中継!今考えると凄いことじゃわ!!」と、懐かしい想い出が蘇りました。

録音したので、探せばあのときのカセットテープがあるはずですが、親友もそれは是非聴きたいよの〜と。

中継の中で、もちろん私は一文字さんと話しましたが、父や母、弟も出演して話してるんですよね〜。

当時はまだ携帯電話もない時代なので、父は会社から帰宅したらいきなり中継されていたという状況でした(@@)

その割には、普通に話してましたけどね^^;

ご飯の早食い競争にもいっしょに参加していました!

 

母に一文字さんの訃報を伝えると、あのラジオの?と返事がありました。。。

 

青春とびしびしばしばしらんらんラジオ④へつづく

 

令和4年2月19日②  青春とびしびしばしばしらんらんラジオ②

 

青春とびしびしばしばしらんらんラジオ①のつづき

 

びしびしばしばしらんらんラジオ(びしばし)の出演者は、一文字さんと日替わりのらんらんスタッフ(通称らんスタ)が2〜3人です。

らんスタは、全員現役の大学生で、いかにも女性っぽいネーミングですが男性もいます^^;

女子大生の方が多かったですけどね。

投稿されたネタが読まれるコーナーは、番組全体からするとわずかな時間で、メインは様々なテーマ(リスナーの悩みごとや社会問題なども)についてのトークや企画ものです。

一応全部聴くけど、当初、私にとってはネタのコーナーだけが楽しみでした。

あとは、年に数回集合形式のイベントがあり、親友から夏に誘われましたが、そういうのはあまり興味がなかったのと、その時点では知名度にまだまだ差があったので不参加。

今考えれば、自意識過剰ですね。。。

その後、親友に「かっとびマークⅡって知っとる?」と聞くと「知っとるよ!よう読まれよるじゃない、それがどしたん?」と。

「あれのぉ、、、実は、わしなんよ」と打ち明けると、めちゃくちゃ驚いていました(@@)

そんなわけで12月のイベントは満を持して?参加することにしましたが、何をしに行くのか?何があるのか?いまいちピンときませんでした。。。

親友が「わしは、らんスタの中じゃと○○がええの〜」みたいなことを言っていたのもピンとこずで。。。

そんな感じで、さほど関心がなかったらんスタの姿をこのイベントで初めてたわけですが、その感想は、、、

ちょっとうまく説明できないのですが、今まで声だけだった人がそこにいる(本当に存在している?)という、なんとも不思議な感じで、自分の中にはなかったものが生まれたような感覚でした!

そして、夏も行っておけばよかったなぁと。。。

ちなみに一文字さんはイベントでも声だけの出演でしたね。

番組に出ているらんスタとイベントで見たらんスタがリンクしたことで、それまではハガキが読まれるかどうか、読まれた日にたまたま来ていたらんスタにうけるかどうかしか興味がなかったのが、トークのコーナーやそれぞれのらんスタの個性にも関心をもつようになりました。

そして、次第に誰さんが出ている日に読まれたいとか、誰さんにうけると嬉しいと思うようになり。

ただ、、、

せっかくいいな〜と思うらんスタができたのに、大学生なので卒業してしまうんですよね・・・。

切なかったですね。。。

大袈裟かもしれませんが、ポッカリと穴があいたような感じで、一時期ハガキを出す回数も減りました・・・。

卒業するスタッフがいれば、新しく入ってくるスタッフがいるわけですが、それまで関心がなかったくせに勝手だなと思いながらも、自分がハガキを出し始めた頃から見てくれていた、そして聞いてくれていたスタッフへの愛着や敬意と感謝から、どうにも新人スタッフを受け入れる気になれなくて(-_-;)

当時は、押し退けて入ってきた「敵」みたいな印象でした。。。

あとから思うと、とんでもなく失礼な話で、ほんとごめんなさい・・・ですが、そんな感じだったのであまり気乗りしない中、親友といっしょに2回目となる春のイベントに行きました。

終了後には交流のためのフリーの時間があり、みんなすかさずらんスタのところに駆け寄ったり、リスナー同士で談笑したりしていましたが、私はそういうのは苦手で・・・。

親友と2人でポツンとなっていたところに話しかけてくれたのが、新しく入ってきていた〇〇さんでした。

すごく気さくで、親友と2人で作って投稿していた新聞の感想とかも話してもらって、へぇ〜、よう見てくれとるんじゃのうと。

帰り途に「〇〇さん、思っとったよりも全然ええ人じゃね」と話しました。

今までどう思っていたの!?という感じですが、先ほど書いたような私の完全な偏見です。。。

そのときはそのくらいでしたが、次のイベントでも話をして仲良くなり、手紙を返してくれたりもして、一気に〇〇さんの大ファンになりました!

明るい性格で、話しやすいのが一番の魅力でしたが、べっぴんさんでもありましたね^^;

ところで私と親友は、竹林組(ちくりんず)というコンビも組んでいて、びしばし仲間の伝言板(伝言ダイヤル(留守電)に替え歌などを吹き込むコーナー)に応募したりもしていましたが、最も力を注いでいたのが新聞の発行でした。

高一、高二のときの土日の大半をこの製作に費やしていましたからね!

初代の新聞が盗作通信で、二代目がサクサク通信です。

盗作〜の方は、その名の通り投稿の盗作を発見して指摘するコーナーがあったのですが、批判も多かったです。。。

イメチェンをはかったサクサク〜の方は評判もそこそこ良くて、一時期は局から希望するリスナーにコピーを郵送していただいていました!

月1回以上の発行を目指していて、完成した新聞は郵送していましたが、早く見てもらいたいのと、一文字さんやらんスタに差し入れがしたくて途中からは親友と片道1時間以上かけてRCCに直接持って行くこともありました(@@)

(このことは、のちに他のリスナーから若干問題視されましたが・・・)その際は、毎回木曜日に行っていました。

というのも、社員通用口まで〇〇さんが受け取りにきてくれることもあったので♪

「〇〇は今日は忙しいから・・・」と、ディレクターさんが出てきてがっかり(すみません)なんてこともありましたが、短時間ながらイベントについて話ができたりして、新聞製作の参考にもなり、それはそれでとても貴重でした。

 

青春とびしびしばしばしらんらんラジオ③へつづく

 

令和4年2月19日①  青春とびしびしばしばしらんらんラジオ①

 

超長文です。

凝縮してもかなりの量なので、4〜5回に分けて書きたいと思いますが、30年の時を経て、こんなカタチで書く日がくるとは。

とても狭い世界ですが、私には一時代を築いたかなぁと思える時期がありました。

人生であんなことは二度とないでしょうね。

ある部分ではくすぶっていましたが、同時にめちゃくちゃ輝いていたなぁと。

 

昨日は妻の甥っ子の大学合格の吉報が届きましたが、今日は凶報が・・・。

地元の親友から一文字弥太郎(いちもんじやたろう)さんが亡くなったと・・・。

一文字さんは、広島で活躍しているラジオパーソナリティーで、私にとっては、びしびしばしばしらんらんラジオ(通称びしばし)の司会者です。

ラジオなので、そもそも声だけなわけですが、本名や年齢など非公開で顔も晒していない覆面パーソナリティーでした。

びしばしは、RCC(中国放送)の中高生向けバラエティーラジオ番組で、火曜日から金曜日の21時から22時54分まで放送していましたが、私の人生においては切っても切っても切り離せない存在です。

その出会いのきっかけは、、、

小学生の頃、ファミコン通信という雑誌のガバスという通貨を貯めるためにいろいろ応募していましたが、ファミマガやマル勝ファミコンにも投稿するようになり、はがき職人の道に目覚めました^^;

ほとんど採用されませんでしたけどね。。。

友達と競っていて、その後、主戦場をジャンプ放送局(週刊少年ジャンプの投稿コーナー)に移しましたが、これもなっかなか採用されなくて(><)

私は諦めが悪いので出し続けて3回くらい採用されましたが、他の友人たちは脱落していきました・・・。

高校一年生になっていたある日、友達(中学の陸上部の親友で高校は別)からラジオ番組の新入生対抗クイズ大会に出るので応援に来てくれと頼まれました。

ラジオとはいえ、しゃべらされたら恥ずかしいので、行かなかったのですが、その日初めて聴いてみたのが、びしばしとの出会いです。

クイズ大会だけのつもりが、翌日からも何気なく聴くようになったのですが、ネタを投稿するコーナーがあり、親友のハガキ(ネタ)が読まれました!

「実はわしも聴くようになったんよ。ハガキ読まれたん聴いたで!」と話すと、親友(ラジオの中では、綾小路(あやのこうじ)ダビンチ)はリスナーの中では、なかなかの有名人らしいことが判明(@@)

それなら自分もいけるのでは!?と思い、内緒で1枚出してみたところ、、、

いきなり読まれました!

ジャンプはやめて、びしばしに鞍替えしました^^;

一文字さんがプロレスの大ファンということで、ペンネームやラジオネームではなくR.N(リングネーム)でしたが、私は、かっとびマークⅡという名前で投稿していました。

車のマークⅡだと思われていたようですが、全然関係なくて、それまでジャンプなどに投稿していたペンネームが、かっとびだったので、その二代目という意味です。

 

ところで私は、高校はそこそこの進学校(私立の男子校)に入りましたが、中学校が公立とは思えないほどのスパルタで、先生の言うことさえちゃんとやっていればいい成績を保てたこともあり、自分で考えて勉強する習慣がなかったため、早くも一年生の二学期には成績がやばいことになっていました(-_-;)

そんな状況で、びしばしにハマったものだから成績はさらに・・・。

授業中にネタを考えることもあり、たまにハガキを書いたりもしていました。

朝、広島駅で芸備線に乗り換える間のわずかな時間を使って、ダッシュで駅前のポストに出しに行くことも。

そうすればその日の夜のコーナーで読まれることもありましたからね!

成績と反比例するようにハガキの方は順調に読まれ続けて、4か月くらい経った頃には、そこそこ有名になっていました!

自分で言うのもアレですが、、、

大物新人の登場です^^;

 

青春とびしびしばしばしらんらんラジオ②へつづく

 

令和4年2月18日  人生で今日が一番嬉しい!

妻の甥っ子が今年大学受験だったのですが、今日、吉報が届き自治医科大学に合格しました!3歳か4歳のときに読んだ野口英世の本に感銘を受けて、医者になりたいと思うようになったようですが、それがこの歳になるまで変わらないのは凄いことです(@@)発表の時間になっても連絡がなくて、ダメか・・・と思っていただけに喜びもひとしおだったようです。妻は電話で話をしていましたが、自分の息子のことのように(それ以上!?)喜んでいました!小さいときから自慢の甥っ子でしたからね。おばあちゃん(お義母さん)も泣いていたようです。お母さん(妻の姉ちゃん)も半端なく頑張ってきたので、人生で今日が一番嬉しいと!!ところで、自治医大は学費が無料ですが、確か卒業後は地元に帰って僻地の医療に従事する義務があったかと思います。中学の陸上部の先輩が同じく自治医大で、今は広島の山間部で終末期医療に携わっているはずです。優しくて性格もいい子なので、患者さんの心の痛みもわかってくれる医者になってほしいです!

令和4年2月17日  届きました!

12月31日の21時過ぎになって初めてチャレンジしたふるさと納税ですが今日その商品が届きました!今回、福岡県の鞍手町というところに1万円ほど納税して、いただいたのはやまやの「訳あり」熟成無着色明太子1㎏!いわゆる切子というやつですね。これです。



20本くらいありますかね?随分前にネットショッピングで切子を買ったときは、比べものにならないくらいの半端ない量が届きましたが、家で食べる分にはこれで充分です。子供たちは食べませんしね^^;ただ、やっておいてあれですが、やはりこの制度自体に違和感が・・・。私が利用したのは、さとふるというサイトですが、商品お届けのメールもそこからくるわけで、今日も「あれ?何町に納税したんだっけ??」というありさまで(-_-;)う〜ん、まあ今年も少しだけやるかもしれませんが、商品主体ではなくもう少し納税先に理由付けをすべく吟味しますかね。とはいえ、明太子はやはり嬉しいです♪痛風の敵ですが(><)

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