今日、父の手術がおこなわれました。
不思議なことに遠くにいると不安ばかりが募っていましたが
実際に父の姿を見て少し落ち着いたのか、昨日はある程度
寝ることができました。
昨日一切寝れなくて疲れていたのもあるでしょうが。
1週間前から毎朝走って目黒不動尊にお参りに行きましたが
今朝は実家の近くの神社とランニングコースの滝のそばにある
お地蔵さんにお参りしました。
もちろん家の仏壇にもお参りして、宮島の神様にもお願いしました。
そして、ばあちゃんやじいちゃんたちに、まだ父さんをそっちに
連れていかないよう、もうしばらく待ってもらうようお願いしました。
都合の悪いときだけお願いして虫がいいのは百も承知で
それでもお願いせずにはいられませんでした。
手術は9時10分開始予定ということでしたが、ここまできたら
あまり早く行ってあれこれ話しても微妙なので病院には
けっこう直前の8時半に到着。
父はまだかまだかと待ちわびていたことでしょう。
立ち会うのは母、弟、私、妻、息子の5人です。
父に悲壮感はなく、むしろ晴れ晴れした表情でした。
時間になると看護師さんが部屋に呼びにきて、父も含めて
皆で歩いて手術室に向かいました。
そして部屋の前で一言ずつ声をかけて握手をして見送りました。
予定の手術時間は4時間30分です。
息子がいるので、不特定多数の人が出入りする家族控え室
ではなく、父の病室で待たせてもらえたのは幸いでした。
本来は重苦しい雰囲気になるのでしょうが、ここでも無邪気に
遊ぶ息子の存在は場の雰囲気を和ませてくれていました。
とはいえ、まずは手術を諦めて、すぐに閉じられないように
素人考えながら早く2時間くらいたってくれと祈るような
気持ちでした。
しかし、なかなか時間はたちません・・・。
手術の話題は自然と避けて、父が今までも大きな病気
(脳梗塞やC型肝炎)を克服してきたことなどを話していると
なんとか2時間が経過しました。
その後2時間半くらいが経過したときにコンコンとドアを
ノックする音がして・・・。
結果的には清掃のおばさんだったのですが、心臓が止まるくらい
ドキッとしました。
おばさんに罪はありませんが、ほんと勘弁してくれと思いました。
そうこうするうちに3時間、3時間半、4時間が経過し、お互いに
口にはしませんでしたが、ここまできたらさすがに切るのをやめた
ということはないだろうという思いに至りました。
そして予定の4時間半が経過しました。
もちろん多少前後することはあるでしょうが、ここからは長引けば
長引くほど、遠くにあるリンパ節や胆嚢、すい臓にも手術が
及んでいることになるので、早く終わってくれと祈っていました。
5時間が経過してしばらくした頃、コンコンと音がしました。
今度は清掃ではなく、ICUの看護師さんで「終わりましたよ」と
告げられました。
とりあえず、途中で急変するといった最悪な事態は起こらずに
終わったのだと一息つきました。
もちろん終わったというだけで、結果はわからないのですが
看護師さんの表情が笑顔だったので、私は成功を確信しました。
しかし、母は手術室に向かうエレベータの中でポツリと
「怖くて結果が聞けないよ・・・」とつぶやいていました。
それを聞いてかどうかはわかりませんが、エレベータを降りたあと
部屋に入る前に看護師さんが「予定どおり無事に終えられてる
そうですよ」と言ってくれました。
一気に緊張感がとけました!
執刀した先生から説明を受ける部屋に入ると銀色のトレーがあり
その中には、まさに切除されたばかりの父の胃がありました。
先生からの説明では、予想よりも癌の範囲が広くなく、切除は
3分の2で済み、充分に残すことができた。
リンパ節は検査ではわからなかったものひとつを含め5つほど
切除したが、懸念されていた遠くにあるリンパ節には転移して
なかったので切らずに済んだ。
胆嚢やすい臓には達してなかったので切らずに済んだ。
心配されていた合併症も起きなかったとのことでした。
実際に切除した胃を触りながらここが癌です、色が違って
固くなっています、ここがリンパ節ですという説明を間近で
受けましたが、父のものとわかっていることもあってか
気持ち悪さは一切ありませんでした。
ホッとしていたのが説明を聞きながらさらに喜びに変わりました!
ここには書き切れない様々な気持ちの変化や憶測がありましたが
全ては感謝の気持ちに変わりました。
先生、本当にありがとうございました。
お祈りしてきた神様、仏様、お地蔵様、天国にいるじいちゃん
ばあちゃん、成功を祈ってくれていた多くの人たち。
本当に本当にありがとうございました。
しばらくしてICUに通されました。
12歳以下は入れないとのことで、息子の面倒を見つつ
最初に母と弟が、次に私と妻が面会しました。
父の意識はしっかりしていて、会話もできました。
笑顔でした。
先生からは終わりましたよということしか告げられてなかった
みたいで、私たちの口から経過と結果を伝えました。
5〜10分しか面会できないので手短かに。
本来は今日の最終の飛行機で東京に帰る予定でしたが
妻だけを帰らせて、私と息子は航空券をキャンセルして広島に
残りました。
母は最初は自分だけ、あるいは弟とふたりで立ち会うつもりで
いましたが、やはり私たち3人に来てもらってよかった、
家族は大切じゃねと言ってました。
ふたりでもあの時間は辛かったと思うし、ましてひとりだと
精神的に耐えられなかっただろうと言ってました・・・。
「元気になってから来てくれればいい」という父と母の言葉に
一瞬そうしようか・・・と思ったこともありましたが、最終的には
妻の行くべき、行こうという言葉に後押しされました。
妻には感謝です。
妻を広島空港まで見送りに行ったあと、もう一度病院に戻って
面会しました。
先ほどよりもさらに意識がしっかりしてる様子でした。
皆、ホッとひと安心で家に帰り、母は色々な人に結果報告の
電話を入れました。
自然とチカラが入っている感じでした。
長い一日でした。