平成28年3月3日 お通夜
朝起きると、父が横で安らかに眠っていて、やはり夢じゃないん
だなと実感しました。
お通夜は18時からで、午前中に葬儀屋さんとの細々した
打ち合せがありました。
妻が飛行機でお昼前に広島空港に到着しましたが、私は
抜けられないので弟と息子に迎えに行ってもらいました。
私は司法書士会に、弟は会社に連絡して生花を出してもらう
ことにしました。
妻のお母さんと姉ちゃんも大分から駆けつけてくれることに
なりました。
問題は父の関係者です。
既に定年で働いてはいませんでしたが、マツダに32年間
東洋コルクという会社に13年間勤めていましたからね。
母はいっぱいいっぱいで、誰に連絡したらいいかわからないし
いいよと言っていましたが、父のためにも連絡しようよとなだめて
思い当たるキーパーソンに父の携帯電話からメールや電話を
させました。
電話は出ない人が多かったですが、折り返しの連絡がある度に
驚かれました。
あれこれすることがあるというわけでもないのですが、気づけば
夕方になっていて、父を棺に入れることになりました。
お通夜の会場である斎場に着くと、生花が飾られていて
広島東洋カープからも届いていました。
マツダの時の同僚や後輩がカープ球団にいますからね。
やはり連絡してよかったです。
父も喜んでいると思います。
お通夜にはたくさんの人が駆けつけてくれました。
今回、喪主は母がつとめましたが、最後の挨拶は私がしました。
通夜なので、手短にしましたが、父のことを話すところでは
さすがに泣いてしまいました・・・。
明日の葬儀・告別式も同じ会場なので、本来であれば父は
そのまま安置して、親族の一部が泊まるのですが、父も
こんなところでは落ち着かないだろうと思い、今日も住み慣れた
我が家に連れて帰ることにして運んでもらいました。
そして、まさに最後の夜をいっしょに過ごすことにしました。
親族もいっしょに帰って、遅い夕食をとりました。
幼なじみの親友が駆けつけてくれたので、手をあわせて
もらいましたが、同じく母を癌で亡くしているので、当時の話に
なりました。
何歳ならいいというのはないのですが、それにしてもやはり
71歳は早すぎます・・・。
あと10年、せめてあと5年はと思ってしまいます。
父の母は94歳まで生きましたが、晩年は足腰の痛みもあり
何をするでもなく寝てばかりだったので、早くお迎えが来てほしいと
よく言っていて、最後は完全に認知症になり、施設に入りました。
父に寿命を分けてほしかったです・・・。