平成30年3月15日 一口馬主
長文です^^;
大学でバドミントンのサークルに入ったことで、たくさんの
先輩、同期、後輩と出会いました。
色々な意味で運命の出会いですね。
サークルは4年間の学生生活のほぼ全てだったといっても
過言ではありません。
そして、可愛がってもらった先輩達がたまたま競馬好きだった
こともありますが、今後も一生関わっていくだろうなと思う
出会いは「馬」です。
学校の最寄り駅(仁川)が阪神競馬場の最寄り駅でもあった
というのも大きいですが^^;
世間的には競馬=ギャンブルという印象が強いでしょうから
イメージはよくないかもしれませんが、そういった側面だけではなく
ロマンや感動、ドキドキ、奥の深さなどなどがあります。
もちろんお金を借りてまでとか、生活が破綻するほど資金を
投入するのはダメですよ(-_-;)
そんな競馬ですが、大学を卒業して社会人になった時に
待ち焦がれて真っ先に入会したものがあります。
それは一口馬主のクラブです。
一時期は3つのクラブの会員になっていて、ピーク時は年間
4〜5頭に出資することもありました。
といっても1頭の100分の1とかですけどね^^;
サークルの先輩やその友達もやっていて、愛馬(所有馬)の
成績に一喜一憂し、パンフレットを見ては、どの馬に出資するか
あれやこれやと議論して盛り上がったものです。
もちろん競馬場に応援に行ったことも何回(何十回?)もあります。
馬券は当たっても外れても1回こっきりですが、一口馬主は
何回も楽しめますし、成長して強くなっていく姿を見るのも
楽しいです。
まあ、そうはいっても、ほとんどは期待したほどには走ってくれず
投資としては損してばかりでしたが、夢はありましたね〜!
素質的には重賞を取れる馬も何頭かいましたが、現実は
そう甘くはなく(><)
何十頭か所有した中で唯一重賞(函館2歳ステークス)を勝って
くれた馬がいて、先々の活躍を夢見ましたが、その後は
鳴かず飛ばずで。。。
中でも期待値の高さが半端なかった3頭(スルーザワールド
ミッドタウン・クロンヌドール)は、結局重賞は勝てませんでしたが
うち2頭は種牡馬にもなってくれました!
結果は出せませんでしたが^^;
芦毛の馬で真っ白になり、引退後は東京競馬場の誘導馬に
なってくれた馬(ケイズヒーロー)もいましたね。
初期の出資馬で、よく頑張ってくれた兄のケイズドリームは
今考えると、亡き父や亡き祖父も電話で今週末出走するよと
伝えると、テレビ中継でいっしょに応援してくれていました。
残念ながら京都記念のレース中に骨折して予後不良と
なってしまいましたが・・・。
涙しましたね。。。
同じく何年も続けている仮想馬主としてのペーパーオーナー
ゲームも楽しいのは楽しいですが、やはり一口馬主は
全然違います。
そんな一口馬主生活も結婚後は辞めはしないまでもさすがに
縮小して、5年くらい前についに新規の出資は0となりました。
自粛的な面もありますが、魅力的な馬が少なくなったのも
理由の1つです・・・。
それでも何頭かは残っていたのですが、この2〜3年間は
ついに最後の1頭(マカハ)だけになり、かつ、高齢のため
昨年はまったく活躍できていませんでした。
定期的に携帯電話でクラブのHPにアクセスして動向をチェック
していたのですが、昨秋に携帯を買い換えて以降は見てなくて。
馬が長期の休養に入っていたこともありますしね。
しかし、虫の知らせか今日、久々にサイトにアクセスしてみると
引退して乗馬になることが、まさに昨日決まったようです。
知らない間に1月2月と2回障害レースにも出ていました(@@)
デビュー勝ちした当初の期待値からすると全然でしたが
4勝してくれたし、生涯獲得賞金は1億3500万円です。
クラブの経営面での諸事情はあるにせよ、9歳まで頑張ってくれた
ことには感謝です。
いずれにしてもこれで所有馬は完全に0頭になり、約22年間の
一口馬主人生が幕を閉じました。
いつか復活はありますかね!?
ちなみに私は馬と出会って、かつ愛馬として所有することに
なったことをきっかけに、馬肉は食べないと心に誓いました^^;
なので、大学2年生以降は一回しか馬肉を口にしていません。
熊本の黒川温泉に行った時に旅館の夕食でドカーンと
出てきた時もいっしょに行った司法書士の友人に全部
あげました。
広島に帰った時に行く友人の焼鳥屋でも馬刺しは逸品では
あるのですが、仲間たちだけが食べます。
今後も食べないのはまずいというよほどのシチュエーション
でない限り食べないでしょう。