令和元年6月26日A  自死問題対策委員会

 

今日は私が企画部の理事として担当する3つの委員会(2つは

現時点では予定)のうちの1つである自死問題対策委員会の

今期初の会議でした。

名前からしてシビアな感じですが、少しでもそういったことが

減るように相談会等を企画運営する委員会です。

メンバーは勝手知ったる人がほとんどですが、一応自己紹介を

してもらいました。

その後、無事に委員長、副委員長も決まり、早速各種の協議に

入りましたが、役員改選の影響で約2か月間ストップしていたのを

取り戻すのは大変です。

面談及び電話相談会の日程(かなりの回数をおこないます)決定

広報(チラシやポスター)・各種の会場手配、相談員名簿を作成

するための事前研修会の準備・講師の決定と打診、出前講座の

広報(チラシやポスター)の準備、他の士業との連携会議の件

などなど。

今日決めないと間に合わなくなるものが多々あり、いきなり

3時間近い会議になりました。

大変だとは聞いていましたが、まさにという感じですね。

これは明日以降委員会のメーリングリストがすごいことに

なりそうです。

 

終了後は初顔合わせということで行ける人は懇親会へ。

他の会議のあとにもよく行くお店で、最後は〆にうどんを

食べることが多いのですが、普段は「うどん、いる人は?」

という感じで1人1つずつなので、2つほど注文して、それを

皆でシェアしたのは斬新でした。

 

令和元年6月26日@  先日書いた矢先に・・・

 

先日病児保育について書いた矢先に・・・。

一昨日から下の子が鼻水を出し始め、昨日から咳が出始め・・・。

昨日は私が保育園の迎えに行ったのですが、熱が呼び出し

ギリギリの37度4分あったとのこと。

鼻水と咳は一日中出ていたので様子をみてほしいと。。。

で、今朝を迎えて、熱は許容範囲であるものの、鼻水と咳は

ひどくて、このあと上がる気配満々です(-_-;)

しかし、今日は私も妻も日中の呼び出し対応は極めて厳しく(><)

話し合った結果、病児保育の予約をすることにしました。

病児は18時に迎えに行く必要があるので保育園よりも30分早く

保育園みたいに延長(最長19時半)できないので、諸刃の剣

ではあるんですけどね。。。

それでも呼び出しを心配しなくていいという安心感は大きくて。

問題は予約できるかどうかです。

対象が区外に広がった結果がどうなのか!?

8時ジャストに申し込みましたが、一瞬心配だったのは、予約の

ページのデータが生きているのかどうか。

一回登録すると次からはいちいち名前や生年月日、電話番号

メールアドレスを入力する必要がないので、最速3秒で申し込み

可能です。

これを入力しているようではお話になりませんからね(-_-;)

今回久々で、1月以来の利用だったので、多少のぎこちなさは

ありましたが、保存データは生きていて3番目を確保できました!

ただ、何回か書いているように、前日からの利用者に優先権が

あるので、例えばキャパの5人に対して前日の利用者が5人いて

5人全員が翌日も継続利用だと例え1番でもアウトです(><)

 

病児保育は保育園よりも色々な準備(各種の書類や持ち物)が

比較にならないくらい大変なので、8時半の当選(?)結果の

確認電話は妻に任せました。

そして、準備を万全にして待っていると、、、

妻から預かれるってとの連絡が!

よかった〜。

ダッシュで向かいました。

あとは素直に行ってくれるかどうか。。。

1月のときは行きたくないと号泣されましたからね(-_-;)

で、今日は「〇〇〇に行くよ、おもちゃがたくさんあるから

よかったね〜」と言うと、、、

やったー♪と。

わかりませんね^^;

ただ、久々に会った看護師さん(保育士さん)に対しては

恥ずかしいのか顔をプイッとしていました(-_-;)

 

令和元年6月25日  ドラ1指名を拒否!

 

今日は息子といっしょに録画していた消えた天才を見ました。

息子もこの番組はお気に入りです。

今日の天才は、ジャイアンツの長い歴史の中で、唯一ドラフト

1位指名を断った小林秀一さんという方の話でした。

しかも全盛期ともいえるV9の時代にです(@@)

ポジションはピッチャーでしたが、投手にとって命とも言える

コントロールがなくて、全然パッとしないので、もうダメだ・・・

自暴自棄になっていたところ、当時の高校の監督が

「下から投げてみたらどうや?」と。

下から!?カッコわる・・・と思ったようですが、投げてみると

これがコースギリギリにビシバシと決まり!

大学時代のリーグ通算防御率は驚異の0.93で、これは

江川よりも凄いみたいです!

満を持して、ドラフトでジャイアンツが1位指名をしましたが

小林さんは頑なに断り・・・。

決意は固かったので、執拗な説得から逃れるため、両親の

田舎に雲隠れしたりもしたようですが、そこにも訪ねてきて(@@)

球団関係者やスカウトの人達も何日も何日も泊まり込みで

粘ったみたいです。

これだけの選手なので、そう簡単に諦めるわけにもいかない

ですよね。

あの手この手でも気持ちが変わらないので、ついには

最終手段として、川上哲治監督が出馬したみたいですが

それでも説得できず、さすがに諦めたと。

契約金は今の価値で1億円と破格の待遇だったみたいです。

では、なぜ断ったのか!?

理由はアマチュア野球(学生野球)の指導者になりたかった

とのこと(@@)

え???

そんなの引退してからでもなれるじゃんと思いますよね!?

しかし、当時のルールでは、プロの選手になった場合

辞めたあともなれなかったみたいです。。。

それにしてもそれだけの逸材が凄い決断ですよね。

実際、まったく無名だった愛知学院大学の野球部を率いて

全国制覇を成し遂げているとのことなので凄いことです。

教え子の中からプロ野球選手も二人輩出しているとか。

そこまで指導者になりたいと思わせたのは、アンダースローを

すすめてくれた監督の存在であり、監督の進言がなかったら

今の自分はないのだからと。

ちなみに監督に、なんでアンダースローがいいと思ったのか

聞いた際にその監督さんが答えたのは、、、

「わしは名門校や有名校の監督のような知識や技術はないが

お前ら選手のクセや体のことは誰よりもわかっとる」と。

ジーンときますね。

最後にジャイアンツに入らなかったことを後悔してないかと

聞かれ、力強く「後悔してません」とおっしゃっていました。

 

調べてみたところ、その後規制緩和でプロの選手でも

指導者になれるようになった際に今なら指名を受けるか?

聞かれ、受けると答えられたそうです。

そりゃそうですよね^^;